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豆ご飯 

実家へ戻ると母が豆ご飯を炊いて待ってくれていた。

それを父と一緒にみんなで食べた。
父はもう、おかゆではないご飯が食べられる。

だけど、コーヒーやお茶などの飲み物は、とろみを入れないと相変わらずむせる。


コーヒーを入れていた銀色の水筒を、たまたま父の目の前に起きっぱなしにしていたら、不思議そうに水筒を右手で回しながら「へぇ〜」と父が呟いた。

「どうしたと?」
「・・・。」

しばらくすると「これ何?」と父が言った。

「なんやろうねぇ〜。何か書いてあるけど、これわかる?」
と、ぼくは水筒に貼ってある英語のシールを父に読ませてみた。団塊の世代で「日本も知らんくせに海外なんて興味もない!」と、海外旅行に対してみょうなこだわりをもっていた父が、アルファベットを読めたのかどうかぼくは知らない。でも、結構デキル男だったらしい父なら、きっと読めたんだとぼくは期待した。

「ライター」

フランケン・シュタイナーと書いてある最後の部分が、確かに、ライターと読める。

「うん、うん。確かにここんとこに『ライター』って書いてあるけれど、フランケンシュタイナーって人の名前なんだよ。これはね、父さん、水筒」

「・・・」

ぼくと父の一連のやり取りの後、母とお喋りして、水筒をライターと間違えたことなんか忘れた頃

「どうやってつけると?」

と父が聞いてきた。

「やけんね、ライターじゃなくて、フランケンシュタイナー。で、水筒。ここ押すと、ほら、ポコって飛び出てきて、ここからコーヒーが」

といって、水筒の小さな蓋に、ちょっと残っていたコーヒーを注いだ。するとおもむろに父はコーヒーを「ズズズ」と、すすって飲んだ。

「これ何茶?」

「コーヒーだよ。お父さん好みじゃないコーヒーやけん、まずかろう?」

「うん。まずい」

高さ25cmくらい、直径5cmほどの銀色の水筒が、きれいだと思ったのか、感触がなんともいえずよかったのか、父はしばらく右手で水筒をテーブルの上でクルクル時計回りに回していた。


雨が降りそうで降らない曇り空の初夏に、なんだかとてもゆっくりできた。

近況 

2週間振りに実家へ帰った。

家の周辺に20杯の土を入れ、芝や花を植え、庭には野菜の苗を植え、タマネギや大根を収穫していた。母は最近「余裕ができたのよ」と言いながら、土いじりを熱心にしている。

父は右足の踏ん張りがちょっとよくなり、小便も大便もおむつではなく簡易トイレできちんとするようになった。

風呂で麻痺している左肩から左手をマッサージすると、2週間前は肩がガチガチだったけれど、今日は柔らかく、肘も柔らかかった。手首と指はちょっと硬かったけれど、肩と肘が柔らかかったのが嬉しかった。

リハビリの人に「左足が柔らかいですね」と言われたらしい。でも麻痺している左足よりも、動く右足がもっとちゃんとまっすぐ伸びて、もっと踏ん張ったり器用に動かせるようになって欲しい。

父は家族で誰よりも顔の血色がよく、穏やかで優しい目をするようになった。そして徐々にだが、ゆっくりと、意識がクリアーになる瞬間が増えているような気がする。

食事も刺身、切り干し大根、タマネギを炒めたもの、ちょっと柔らかいご飯を食べ、胃瘻からの栄養補給は朝だけとなっている。このまま順調にいけば、ひょっとすると夏か秋頃には胃瘻のチューブが取れるかも! 毎食後、歯を磨いているのだが、時々歯が痛いことがあるらしく、父は「歯医者に連れて行ってくれ」と言う。父は(ぼくもだけど…)、ときどき事を大げさに考えるから、知覚過敏かもしれないのでもうしばらく様子を見ようと思う。

色々なことがゆっくりと良くなっている。

ただ問題は、犬のゴンタの足の爪が伸び過ぎてちょっと足が腫れていて痛そうだったこと。腫れているから、捕まえて爪を切ろうとすると噛み付くし、困った。

母の日 

ラベンダーやらタンポポの仲間みたいな花を持って実家へ帰った。
喜んでくれた。嬉しかった。


父が右手で右の頭を撫でながら、

「この辺がスッキリしないんだ」

と、出血した右脳の辺りを触ったと聞いた。

鳥肌が立つほど嬉しかった。


脳が損傷した場合、意識は泥の沼からゆっくりどろどろと浮かぶように元に戻ると聞いたことがあるけれど、父もゆっくりゆっくりよくなっているのだと実感した。

一緒にお風呂に入ったときはよだれを垂らして気持ち良さげに「ヴァーーー!!」っと吠えたりしてたけど。

GW 

新学期が始まったぼくはとても忙しくてゴールデンウィークもあんまり休めなかった。

実家へ2日ほど帰ることができた。

父はまだおむつはしているけれど、小便も大便ももらすことなく、予告して、トイレでできるようになった。

リハビリでは立ち上がるための練習をしていて、母は、

「車椅子の乗り降りが楽になったのよ〜」

と言った。
妹は結婚し、ぼくは忙しくて最近隔週でしか実家へ戻れなくなっており、母はそんな4月にせっせと庭に手を入れて、花や野菜や苗木がそこかしこにきれいに植えていた。

もう少し、なんとか時間を作って実家へ戻りたいと思った。

シャント 

父がクモ膜下出血で倒れて最初に入院した病院へ、シャントの交換検査へ行ったと母が言った。

院長先生は、当時の父を思い出しながら、「よくここまで・・・」と、本当に嬉しそうに述べ、看護婦さん達も父の元へ来ては、ワイワイなにやら話しかけてくれて、父は「どーも、どーも」とか「ありがとうございます」とか言った。

見えていても、明けているのがしんどいのか、普段は右目をつぶっているのだが、「明けて!」と頼むと明けてくれる右目を、病院で明けてやったりして、多いにウケたらしい。


お風呂に一緒に入る時、最近母は10分ほど風呂の外へ出て行く。その間、ぼくは父の麻痺した左肩を、肘を、手首を、指をゆっくりほぐしては、タオルを絞って父の目頭に置く。

「硬くなってるから、普段から自分でマッサージしなきゃだめだよ」とか言いながら、ただ父の左腕を一生懸命にマッサージする。

お湯の中で30分、シャンプーや石けんに10分、入ったり上がったりするのに5分ずつくらいかかるので、大体いつも1時間近くかかる父との入浴が、ぼくは心から好きだ。

父に対する感情も、日々の雑感も全て消え、ただただ父の左腕の筋を感じながら、ぬるめのお湯の中でひたすらマッサージすることは、楽しくも辛くもないけれど、1週間で最も心温まる時間のような気がする。