スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

入院 

父が入院した。一昨日突然決まった。

もともと、両親の住むところは九州でもよく雪が降り積もるところだから、リハビリのことを考えると、1月か2月はできればリハビリ病院に入院させたいと考えていた。それにしても急に決まって、急に入院した。

父はちょっと退屈そうだったから、寂しいだろうが気分転換にもなるだろう。
多分1ヶ月くらいは入院できるだろうから、その間、母は身体を休ませて欲しい。

入院時に検査したらなんと父の体重は60Kgもあったらしい。ぼくとあんまり変わらないではないか。どうりで最近お風呂に入れるとき重かったわけだ。

お見舞い2度目 

先週とは違い、今日は嬉しそうな表情を浮かべ、父の兄が来たことや、母が来たことなどをきちんとわかっていた。でも喋ることが面倒くさそうで、なかなか声を出さない。

仕方がないので九九をした。
「ににんが?」
『し』
「にく?」
『じゅうはち』
そんな感じで、ぼくが九九の問題を出すと父はかなりの高確率で答えを声に出して答える。もし大学に行けていたら、数学の先生になりたかったと言っていただけに、父は計算問題が好きだ。ただ計算ばかりではおもしろくないので「さんし」の答えだけは「いらっしゃい」と答えさせるようにしている。。。

実家で自宅介護をしていたときも、週末にぼくが帰ると父はひたすらじーーーっとぼくの顔を見る。なにか聞きたいことがあるのかと聞いても、何もないという。でもじーっと見る。そして何時間だかぼくの顔を見続けて日が沈む頃、ぽつりと、訳の分からないことをぼくに言うことがある。今日もそうだった。

「○○(ぼくの名前)、お前はもう病院から追い出されるぞ!」
「どうして?」
「お前は大きくなり過ぎた・・・」

笑いをこらえながら、父がどんな夢を見ているのか、何を思いついて、そんな言葉に辿り着いたのかを必死にぼくは考える。でも、全然その脈絡がわからなかった。
不思議とシュールな気持ちよりも、とにかく面白くてたまらなかった。


追記:昨年末から作っていた、テーブルの下に置く棚が、今日やっと完成した。母がたいそう喜んでくれた。

ブログ再開 

引越しました。

日記を書かないでいると、過去がぼんやりし始めていることに気づき、
とにかく再開しようと、とりあえずFC2ブログに引越して、再び記録を残そうと。




父は元気です。自宅でテレビを見たり、ゴンタにガムをあげたり、お箸で茶碗をならしたりしています。『とろみ』の粉を入れて、とろとろにしたお茶やお味噌汁を飲み、お粥や煮物やクッキーをおいしそうに食べております。
まだ自由に歩いたりはできませんし、倒れる以前のような頭の切れは戻っていません。


でも、九九はできるし、ぼくたちを叱ったり、一緒にお風呂に入ったりすることができるようにもなっています。


母も、犬のゴンタも元気です。妹は名字が変わってしまいました。ぼくも相変わらず元気です。

今後もどうぞよろしくお願いします。

久しぶりの入浴 

父が入院していた3週間、父のいない実家で、母と2人で過ごしているのが正直しんどかった。父が倒れるまで、ぼくは両親とはあまり折り合いがよくなかったことを思い出した。

父が帰ってきたけれど、母とぼくの関係はなんかちょっとギクシャクしているような感じ。でも父と一緒に風呂に入っていると、気持ちのケバケバしい部分が柔らかく湯気にとけていくような感じになった。

面倒臭いのか、父は前にも増して無口になった。右手と首だけで、様々な意思表示をする。

そんな父が、4週間ぶりのぼくとの風呂で、初めて鼻歌を鳴らした。

褥瘡 

父の左半身は麻痺している。2005年の7月27日に倒れてから半年ほど意識も戻らず寝たきりの状態が続いたため、動く右足も筋肉が落ちているから立てない。

最近の父の目標は自分で立つこと。

リハビリでも、右足でもっと踏ん張れるようになることに重点を置いてもらっている。あと、意識の集中力をもっともっと高めること。

母は毎日父の身体を拭いている。
「介護とは下の世話ね!」
といいながら、う●ちから小便まで父の世話をしている。

麻痺している左足を動かす時、どうしても同じ所を掴んでしまう。アキレス腱周辺の足首の所だ。まめに介護をし、ついつい同じ所を掴むため、最近そこに褥瘡ができた。

褥瘡とは通常、背中に出来る物。寝返りがうてず、床ずれが出来て、水ぶくれみたいなものができる状態だ。ずっと水につかっていたら、皮膚がじゅくじゅくになってしまい、皮が剥げてしまうのに似ている。

火傷やマメの水ぶくれは1週間もすれば大抵治るけれど、病人にできた水ぶくれ、いわゆる褥瘡はなかなか治らない。だから、これが相当危険な傷なのだ。


最初に入院した脳外科専門の病院では、褥瘡から菌が入り込んで他の病院へ褥瘡の手術をしにいく患者さんがいた。脳外科の手術の腕は凄かったと思うのだが、その後の看護体勢はおそまつな病院だった。父にもそのころ、腰に直径5センチ程度の褥瘡ができていた。

「たった1ヶ月の入院でこんなに大きい褥瘡ができるなんて考えられない。お父さんが殺される」

総合病院で5年以上勤務している看護婦の妹が、泣きながらそういい、ぼく達は父を転院させた。転院先の総合病院に約3ヶ月ほどいたのだが、3ヶ月かかって褥瘡は小さな物になった。あとちょっとで治るという時、リハビリ病院へ転院し、不安だったが、リハビリ病院に転院した後、褥瘡はすぐなくなった。

ぼく達家族にとって、褥瘡は、父が半年間も意識を取り戻せなかった原因のひとつなのである。そう思っていた褥瘡を、母が自らの手で作ってしまったことに、落ち込んでいた。

足首の褥瘡が出来てからは、再審の注意を払って、母は2週間駆けて直した。

それを、ぼくは、お風呂場でグイっと掴んでしまった。また、皮がむけた。

派手に皮をむいてしまったので、1ヶ月くらいは治らないかもしれないと、落ち込んだ。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。