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術後2週間 

ちょっとぽっかり空き時間があったので、意を決して、術後2週間の5日目を、手帳を見ながら書きました。

今は、点滴も酸素の管も髄液を取るためのチューブもなんにもない。
当時が嘘のように危機感のないリハビリ病院で、父は毎日リハビリをしています。

ひそひそ話のようなか細い声で何かを言ったり、
ミミズが張っているような文字を書いたり、
右手を使って意思表示ができるまで回復することが出来て良かったと、
改めて感じます。

術後2週間はもの凄く緊張していて、気持ちが張りつめていた割に、特に何を考えてるわけでも、何をしているわけでもないのに、一日一日があっという間に過ぎ去って行った。手帳に書いていた日記を読んで、当時を思い出しながら書くと、ありありと思い出すことが出来る。辛いけれど、自分の中で術後の2週間が風化していくのが怖いと感じるので、忘れることはないと思うけれど、風化しないうちに、辛いけれど、ちょっとずつアップしていこうと思います。


最初の病院は、脳神経外科手術は素晴らしくて、父はあの病院に担ぎ込まれていなかったらきっと救われていなかったと思います。

そして、手術が成功したものの、褥瘡(じょくそう・床ずれ)が酷くなり、微熱が続き、下痢も止まらず、いつまで立っても意識が回復しなかったため、かつて妹が勤務していた総合病院に転院させてもらいました。
この病院では、褥瘡、下痢、シャント術をしてもらい、意識回復の希望が見えてきました。

父に意識があり、微妙に反応を示してくれているのは家族しか分からないという、非常に低い意識レベルでしたが、リハビリ病院に行くことができ、そこに移ってからというもの「1週間でこんなに回復したのか!」と驚くほど回復しています。


「もうちょっと早く転院していれば…」と思うこともあります。
でも一方では、それぞれの病院で、それぞれ得意とする分野を治療してもらえて
「本当に運が良かった」とも思います。


うちは幸いにも妹が看護婦で、大きな総合病院で数年勤務していたし、ぼくの唯一無二の親友が産婦人科といえども医師だったり、一時期は結婚まで考えた昔の彼女が看護師だったということもあり、病院や医師をできるだけよく理解しようと心がけることができたように思えます。

クモ膜下出血は突然訪れて、家族をどん底に突き落とします。それぞれの家族の状況や、倒れた方の状況もそれぞれみなさん違うと思います。もし、ぼくたち家族が経験しながら感じ、あれこれしてきたことが、愛する人が倒れた家族にとって、ちょっとでも参考になればと思います。
あきらめてはいけないと思うし、覚悟を決めておくことも大事だと思います。だけどちょっとだけ、笑うことのできる、気持ちの余裕も必要だと思います。
そうしないと、冷静な判断ができなくなるでしょうし、病院や医師を理解し、タイミングよく転院をしたりする思考力が鈍ります。


最近は、自宅介護に向けた自宅改造だかガーデニングだか分からないようなことを一生懸命しております。週末しかしていないのですが、久しぶりに身体を酷使しているので、筋肉痛が木曜日になってもとれません…。
はやく、父が帰ってきた時の笑顔が見たい。

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