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154日目 

12:00に福岡の病院を出発して、リハビリ病院に着いたのは午後1時半だった。

着いたら、父が小学生だった頃里子としてお世話になったおばさん一家が待っていてくれた。やがて父の長兄の伯父さんも来てくれた。
挨拶をしていると主治医と担当の看護婦さんも挨拶に来た。
ひとしきり挨拶が終わると主治医とおばさん一家は病室をあとにした。


15:00から父は検査だった。それまでの間、担当の看護婦さんはお喋りを交えながらぼくたち一家の状況をさりげなく聞き出し、父の身体にちょこちょこ触れながら、父の容態や家族の状況をさりげなく把握していったようだった。

それは今思い返して分かることなんだけれど、その時はただのお喋りだと思ったし、とりあえずしなければならないことを把握するための確認だと思っていた。でも今思い返してみると、担当の看護婦さんの狙いはどうも、ぼくたち家族に慣れることだったのだと思う。そしてそれはぼくたちをとても安心させてくれるものだった。


尿を取るというので廊下に出ると、ソーシャルワーカーが、ちょっと話を聞きたいというので家族控え室で家族3人とソーシャルワーカーで面談。

ソーシャルワーカーは書類を手元に置いて、ペンを握りながら、家系図何ぞを書きながら、父を中心とする親族に病人がいないかどうか、ぼくたち家族がそれぞれどういった暮らしをしているのかを一生懸命聞き出そうとした。
聞き方が、過剰なほど丁寧で、嘘っぽい感情移入を感じさせるような相づちが、やけにぼくを苛々させた。母と妹はそんなこと感じなかったようだけど、宗教とかクレジットカードでも入会させられそうなトークだった。ぼくはこの人には難にも話したくないと思った。

15:00になって、ヘルパーさんが父を車椅子に乗せて検査へ行った。

荷物を運び入れたりしているうちに父はすぐに帰って来た。ケアマネージャーだか、ヘルパーさんの主任さんのようなしゃきしゃきした人が現れて、今後必要な物や、明日からの介護スケジュール等を一気にもの凄いスピードでまくしたてて消えて去った。

主治医がちょっと話を聞きたいというのでまた家族3人と、伯父も含めて話をしに行った。ソーシャルワーカーとの苦痛な時間を思い出しながら向かったけれど、医師との話は面白かった。聞きながら医師はドイツ語だかなんかを書いていたけれど、時々日本語を書いてはボールペンでぐしゃぐしゃと消したり。妹の勤務先の話なんかを聞いた割にはその後聞いていない様子だったり、なんかいい先生だなぁと思った。

16:00頃になってようやくぼくたちはみな病室に揃って落ち着けた。
家族4人と伯父さんだけになった。
病室の窓には、雪をかぶった由布岳が悠然とそびえ立っていた。それを一目父に見せようと、ベッドを動かしていると担当の看護婦さんとヘルパーさんが来た。

看護婦さんやヘルパーさんは、ベッドを動かしていたことを咎めることもしないで、
夜に凍結した道路で車が立ち往生していたことや、夏には花火が見えることなどを話してくれた。


介護に関するありとあらゆるスタッフがごちゃごちゃと大勢いて、最初はえらく人口密度の高いごちゃごちゃした病院だなぁと思ったけれど、それだけ患者に対するケアが非常に親密であると感じた。

きっと素晴らしい病院だと思う。

父が入院できる3ヶ月の目標は、大きく分けて2つ。
1)嚥下(えんげ)
2)廃用症候群(はいようしょうこうぐん)

ぼくは更に「発声」というのを期待している。それはきっと、廃用症候群に含まれているのだろうと考えたい。

コメント

ヒカルさんコメントありがとうございます。
年末年始で慌ただしかったですが、休暇も取りやすかったので転院先をゆっくり理解することができました。
看護師さんたちは年末年始もあまり関係なく仕事をしていて大変ですね。
2006年がヒカルさんにとって良いお年でありますように。

転院してきた患者さんや家族の方々が、転院当初に巻き込まれる情報聴取や面談の流れでこんな風におもってるんだなぁって興味深く読ませていただきました。由布岳や綺麗な風景の中での年越しは素敵だし、今後のリハビリ生活のよいスタートになりますね!年末の慌ただしい中での転院、お疲れさまでした。

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