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292日目 

父がまだ会社員だった頃、福岡の自宅で色々な花や木を、母と一緒に育てていた。丹誠込めて育てた庭は、たまにぼくが雑草を抜いたり水をホースで乱暴に撒くだけで、ピンクや黄色、紫の花が咲く。ぼくは種も撒いていないのに。

なかでも、今はもの凄い数の真っ赤なバラが、きれいに咲いている。
今日はなかでもたくさんの花をつけていた枝を切って、ペットボトルに入れて病院へ持って行った。

「きれい…。ありがとう」
父はそういって、しばらくの間じっと見ていた。

コメント

こちらも明るく前向きに応援していこうという気持ちになれます。
最初に「意識が戻る」というのが何を指すのか、まだ良くわからないのですが、うなずきとか意思表示ができる・・・ということなのかなあ。
あせらずに見守り、応援し、話しかけ続けたいと思います。
リハビリ病院に転院したら、場所と仕事の関係で誰が毎日行くということが難しくなるのが不安です。でも、毎日何かしらのリハのプログラムがありますよね。

私の母も実は似た状況で、動脈瘤が右側にあり、
画像で見ると、左脳はほぼ大丈夫だそうです。
ただ、右脳は出血量が多く重症であったため、
脳梗塞の広がりも大きく、
左麻痺は重度だと言われています。
でも画像と意識とはまた別の問題と医師に言われました。
やはり倒れてからのことは覚えていらっしゃらないのですね。私の母も、特に最初の頃の苦しい日々は、覚えていないといいなあと思っています。
先月で転院4ヶ月というと、そろそろ退院ですよね。
居られるのは5ヶ月ですものね。
でも、携帯の操作まで出来そうだなんて、本当にすばらしい回復ですね。

リハビリ病院への転院は、術後2ヶ月になったんですか。どうも、1ヶ月短くなったようですね…。シャント術後2ヶ月でリハビリ病院へ転院となると、なんだか慌ただしいね。でも、意識回復の刺激にはリハビリ病院はとてもいい環境なので、いいのかも知れないとか、前向きに考えましょう。
リハビリ病院へ転院後、約4ヶ月後の先月あたりから、父の意識はだいぶしっかりしてきました。そこで、倒れた頃のことを覚えているかと聞いたら、覚えていないと言っていました。倒れてからのことを説明したら、震えて怖がりました。
父の場合、幸いなことに左脳が傷ついておらず、右脳の大半が損傷しています。
その影響があるにはあるのですが、はっきりと何が欠けているのか、まだ分かりません。
でも、倒れる前よりも親子の会話が増えたことは確かです。なぜか、妙な親子の障壁が消えました。
これが最近一番うれしいことです。

日記はそうですよね・・・エラーで表示されないのかなとも思ったのですが、私自身も手帳にメモしていましたが、まだそのメモを見ることも出来ません。
お互いいつか「こんな感じだったんだよ~」とお父様(私は母と)のんびり話せるときが来ると良いですね。

こんばんは。コメントありがとうございます。
今日、この辺り(静岡です)で評判の良い、リハビリ病院を見学してきました。この4月の医療制度の改定で、色々変わったようで、回復期リハビリ病院へは、最後の外科手術(シャントや骨形成含む)から2ヶ月以内でないと認められないらしく、母の場合は、先週シャントと骨形成がありましたので、7月頭から中旬になります。仕事の都合がついたので、転院までは引き続き毎日面会時間の殆どは側に居ることができます。

色々心配なことが多かったですが、父の状態をしっかり看て、調べていかないといけないと思いました。
ちなみに、倒れてから1ヶ月間はほぼずっとつききりで看病していて、そのころ、手帳に記録を残していました。それが、簡単な走り書きのメモみたいなものばかりで、これじゃいかんと思い、後から整理してここに書いています。
8月の始めから10月までの日記はまだ書くことができないでいます。
いつか書かないと、忘れてしまうとあせってはいるんですが、いざ書き始めると辛くて涙が出るのでなかなか書けないでいます。すみません。

父の場合、呼吸が戻るのは早く、手術中には自呼吸が戻りました。ただ、ヘビースモーカーだったせいか、チューブが抜けた後、痰がすぐたまり、喉がゴロゴロしています。
痰を吸い出してもらうと「頭がスッキリする」と父は最近言っています。
幸運にも、肺炎になったり、MRが肺から出ることはなかったのでよかったです。
ただ、父の場合は、術後まもなく褥瘡が出きて、そこからMRが出て、ずっと微熱が続きました。褥瘡が治り始めると、微熱も収まり、ようやく5ヶ月目に意識が回復し始めました。
尾てい骨周辺の褥瘡は気をつけないと、脳ではないところで体力を奪われ、衰弱してしまうのだと知りました。
クモ膜下出血の手術は、運良く評判の良い脳神経外科でしてもらうことができました。でもその病院では褥瘡ができ、そちらのほうが心配になったので、術後2ヶ月半くらいで自ら申し出て、総合病院に転院させてもらいました。

お返事ありがとうございました。
これからも前向きに頑張ります。
実は血管レン縮による脳梗塞は起きてしまい、左半身麻痺と視野欠損は免れないと言われています。
そういった後遺症は、もちろん本人にとっては、非常に辛いものであると思いますし、器用でハイキングが好きな母ですから、想像するとたまりませんが、意識状態が良くなれば「やはり生きてて良かった」と思える生活をさせてあげられると思っています。
今日は鼻の酸素チューブが抜けたのですが、その途端に喘息のような症状となり、酸素マスクをしています。心配ですが、医師によるとこのような症状になる人は多いとのこと。このまま順応できればマスクを外し、難しそうなら再度チューブを入れるとのことでした。
また、ちょくちょくお邪魔させて頂きます。
追伸: 9月の記録は書かれていませんでしたか? 8月の後が10月になっていましたので・・・。

はじめまして。luciaさん。
脳梗塞などの合併症が起こりやすく、予断を許さない術後2週間も越えられたようで、よかったですね!
意識の回復は、術後できるだけ早い時期に上がって行った方が、後々の回復がよく、一般的には大体6ヶ月くらいを目処にされているようです。
でも、うちの父は術後5ヶ月から意識が徐々に回復し、最近は携帯電話の操作がなんとかできるように頑張っております。
とにかく家族の呼びかけが大事だと言われ、そう信じて、毎日家族の誰かが父の側に行き、声をかけ続けました。
お互い、これからどこまで回復できるか分かりませんが、できるだけ希望を持って、諦めないで頑張りましょう。

はじめまして。
母が4月13日にクモ膜下出血で倒れ、最重症のグレード5と診断されました。何とか状況が少しだけ改善し、手術をすることができ、今は「救命という意味での治療は終わったことになる」との医師からの言葉を頂きました。
未だに意識状態は非常に悪く、目を開く程度ですが、それでも、少しずつ回復している気がします。
このブログを読ませて頂き、これから先の回復について明るい希望を持つことができました。
ありがとうございました。
不安はたくさんありますが、母の回復力を信じて、日々支えていきたいと思っています。

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