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222日目 

母から電話で父の様子を聞いていて「それはちょっと本当なのかい?」とちょっと信じられないことがあった。それは、父が笑うということ。

倒れた直後、医師から「右脳が損傷したので感情面でちょっと障害が残る可能性が高い」と言われていたし、これまでの父の状況から言うと、父が笑うという感情表現できるほど回復していはいないだろうと思っていた。

同じようにちょっと信じられない話として父がひそひそ話のように何かを言うということ。倒れてからこの7ヶ月間ぼくたち家族は一切父の声を聞いていない。夜勤の看護師さんがたまーに、父が「はーい」と言ったという話を聞いたりしたことがあるだけだった。ぼくは父が失語症になってしまったのではないだろうかという不安が大きくあった。

ぼくは風邪を引いていたのでここ2週間ほど父に会いに行っていない。そのわずか2週間で父が「話し」「笑う」なんて?! と疑いながらも期待して行った。

母が言う通り、父はかすかな声でものを言うし、面白いことがあると肩を揺すって表情を崩して笑うのだった。驚いた。リハビリの効果というのはこんなに次から次に出てくるのか。

7月27日の未明に倒れ、12月下旬にリハビリ病院に転院するまでは胃瘻と点滴だけで栄養を取り、なにかというとすぐ微熱が出て顔がやつれていた。

それがいまや、話を聞いては笑い、微かな声で「ありがとう」とか「おやすみ」とか言う。「『あ』を書いてみて」と言うと、ネズミが這ったような字だが、確実に指は『あ』を書いている。先週からはゼリーを食べる嚥下訓練も始まっている。テレビから興味のある話が聞こえると、ガバッと身を乗り出してテレビを見る。右手でベッドのサンを掴んで起き上がろうとする動きを最近は見せる。

手で自分の頭を指差して、そのあとパァ~とし、父は自分がクモ膜下出血で倒れて頭が思うように働かないということを認識するまでになっていた。

ただ、今日面会に行って、父が最初にしたぼくへの挨拶が、人差し指と中指を揃えた
「煙草を吸わせろ」
だったというのがちょっとなあー。嬉しくも辛い。

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母方の祖父 

今年88歳になる母方の祖父は、数年前から入退院を繰り返している。
3年ほど前までは、酸素を吸いながら大好きな煙草を吸っていたけれど、遂にそれもやめた。でも毎日2合くらいお酒が飲めるので嬉しそうだ。

ぼくは小学生の頃、毎年夏休みになると40日間ずっと、おじいちゃんの所で過ごした。いとことカブトムシを捕ったり、釣りをしたり、川で泳いだり、じいちゃんと将棋を指したり。ぼくはじいちゃんが大好きだ。

そのじいちゃんが救急で総合病院に運ばれて、ICUに入った。
毎年春になると喘息が出て、入院したりするらしい。でも去年は大丈夫だった。
今年はちょっと調子を崩して近所の病院に入院したら、夜寒くて、肺炎だか喘息だかが悪化して、町の総合病院へ運ばれた。偶然にも、妹が働く病院だった。

レントゲンで見ると、右の肺がほとんど真っ白だったらしい。
心配だ。今度お見舞いに行かなければ。

232日目 

ぼくが着いた時にはもうリハビリも後半で、戻ってきた時にはもうへとへとといった感じだった。

父は、微かな声で、話すことが出来るようになった。
何を書いてあるのかほとんど分からないけれど、字を書くようになった。
「お父さん、なに言いいよるか、いっちょんわからん!」
と言うと笑ったりするようにもなった。
コミュニケーションが取れるというのが本当に嬉しい。

最近は、担当の作業療法士さんが一番、父の言いたいことが分かっているような気がする。

帰る時、父がぼくに何か言った。分からないから書いてもらった。でも分からない。どれだけ耳を近づけても分からない。どれだけ筆跡を追っても分からない。
でも何度も繰り返すうちに分かった。

「また今度、時間がある時、ゆっくりおいで」

嬉しかった。

病院をはしごした 

父の面会の後、高速道路を使って30分ぐらい走って、おじいちゃんのお見舞いに行った。

着いたら眠っていた。母とぼくが眠っているおじいちゃんをじーっと見ていたら、
「お食事の時間ですよー」
と看護師さんが声をかけた。
おじいちゃんは目を覚ますなり驚いて、ぼくと母の顔をおろおろしながら見た。 
「久しぶりじゃの~! 相変わらずくしゃみするか?」
とじいちゃんはぼくを見て言った。

どうやらだいぶ回復しているようだった。
回復して、気持ちが落ち着いて、思考が戻ると、じいちゃんは病院にいることがもの凄く嫌で、寂しそうだった。

母にしてみれば、夫が倒れ、父まで倒れてしまったという状況だけど、共に容態が安定し、回復し始めたのでほっと胸を撫で下ろしているようだった。

234日目 

妹からメールがあった。
父と電話で話が出来たらしい!

妹が母に電話した時、母はたまたま父の病室にいた。すると父が
「電話、電話」
といったらしい。携帯電話を父に渡したら
「もしもし、もしもし、ほうか、ほうか」
と、微かな弱い声だけど、倒れる前と同じような話し方だった。

もう嬉しくて仕方がない。

自分のこと 

父の容態が落ち着き、リハビリが進み、最近は非常にいい感じである。

どちらかというと、最近は父よりも、自分自身の仕事や将来に問題が…。
自宅介護へ向け、ぼくも田舎でなにか仕事を見つけて田舎暮らしをしようかと思ったけれど、母が猛烈に反対した。一時は母を説得したけれど、どう考えても今からぼくが田舎暮らしを初めても、父はあんまり喜ばないだろうと思い直した。

結局ぼくは、日本語教師をしながら高校の教員免許取得に向けた勉強を続ける。
そして、出来る限り時間を見つけては田舎へ行く。とりあえず高速道路が安く利用できるように、ETCを申し込んだ。
社会的には不安定だし、給料も安いけれど、自分の将来は自分を中心に考えて、毎日は家族を思いながら暮らして行こう。
塾の講師や家庭教師もしてみよう。

祖父の病状 

この日は母と妹が病院をはしごして、父の病状の報告と、祖父の病状の報告を受けた。

祖父は救急で入院して以来、寂しがってはいたものの元気そうだった。そして、祖父が入院しているのは妹が勤務している病院だったし、しかも妹が働く病棟だった。妹はほぼ毎日祖父の病状をしっかりと把握していた。

祖父は入院以来、ほとんど睡眠が取れていなかった。日に日にやつれ、体力を失っていた。妹はその様子を見ながら毎日泣きながら働いていた。

今日、たまたまちょっと口うるさい看護師さんと、麻酔科の先生が祖父を看て、その時に主治医は「不要」と判断していた装置を麻酔科の医師が「これつけたほうがいいだろう」と判断し、ある装置をつけてくれた。

すると、これまで喘息が苦しくて眠れなかった祖父がすやすやと気持ち良さそうに熟睡し始めた。

ぼくはよくわからないのだが、酸素を送る装置ではなく、肺に圧を加えることで、縮んでいる肺胞を刺激して広げ、呼吸を楽にする装置らしい。

主治医は後からその装置が設置されたことを知ったらしいけれど、敢えてそれを除去せず、効果が見られているのでこのまま継続すると伝えてくれた。

妹は以前から「循環器の先生と、心臓の先生にそれぞれ見てもらった方がいい!」と、伯父さんに言っていたが、仕事に忙しい伯父は「そうしてくれ」と言うが、その手続きをなかなかしてくれていなかった。

患者である祖父の最も身近な伯父が頼まないと、そういった処置はなかなか勝手にできないらしい。それが、たまたま麻酔科の医師に看てもらえたことで祖父の病状が快方に向かっている。

主治医はどうして周囲の医師に相談しないのか。
伯父はどうしてすぐ病院にお願いにいかないのか。

伯父は決して薄情なタイプではなく、親戚の中でも情が深く、父の面会にも毎週来てくれている。ただ、問題を把握して、解決するための判断力や、行動力が今回足りていなかったと思った。

妹は、ここ1週間、まとまった睡眠が全然取れていなかったらしく、21時頃帰宅すると喋りながら熟睡してしまった。負担をかけてしまって、本当にすまなく思う。

237日目 

月に一度の医師からの説明があった。
順調にリハビリが進んでいるが、入院できるのは6月までと言われた。
父にそれを伝えると、右手を上げて、大喜びしていた。
あと3ヶ月で自宅介護が始まる。
現状、ぼくは不安の方が勝っているけれど、やっぱり嬉しい。

車椅子用の通路、縁側のようなデッキを作ったり、車椅子用のスロープを作ったり、車椅子を選んだりと、これからは自宅介護に向けた準備に追われそう。

まずは役場へ行って、介護保険の申請をし、サービス内容を把握しなければ。

238日目 

春分の日なので、リハビリはお休み。リハビリがないと父はちょっと不機嫌だ。

外へ行きたいというので車椅子に乗せて梅を見たり、菜の花を見たり、水仙のつぼみやチューリップの芽をみた。菜の花を摘んで持たせると、鼻に持っていって匂いをかいでいた。いい匂いがすると、ご機嫌だった。

外をひとしきり散歩した後、病室に戻り、車椅子を漕いだり、テレビのリモコンを触ったりして、自分なりに何かを確かめようとしているようだった。

「お父さん、また来週来るね!」
と言うと、
「来週、来週」
と言い返していた。

祖父の病状 

祖父があんまり良くないらしい。
喘息で息が出来ないので、喉から呼吸が出来るようにするらしい。

電話口で母は、明るい声でそんな話をした。

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