スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

190日目 

医師、婦長、担当看護師、ソーシャルワーカーの4名による説明を母と受けた。

自律歩行は無理。
車椅子、食事、排泄など全てに渡ってどうよくなったとしても介護が必要。

そんな見通し。

明日、嚥下の検査があり、来週から嚥下の訓練が始まる。


分かっていたことだけど、あんまりはっきり言われると悲しい。
でも、意思疎通も、自発動作もほとんどできなかった状態だったのに、
たった1ヶ月で右手、右足の動きはとてもよくなったし、
リハビリの効果が非常によく出ている。
効果が見込める限り入院はできそうなのが嬉しい。

医師が父の回復を認めてくれたのも嬉しかった。

スポンサーサイト

191日目 

嚥下の検査を、外部の精神科の女医が行った。

電話をして母に様子を聞くと、妹とともに怒り、悲しんでいた。

「今回私は中村さんに初めてお会いしたのですが、
目も開けませんし、一切反応がみられませんでした」

と、ズバリいきなり言われたらしい。

担当看護師が言うには、検査医は、嚥下検査で使うゼリー状の飲み物を
父の口を無理矢理こじ開けるようにして入れたらしい。
それを、
「飲み込ませようとしましたが、全て吐き出しました」
だと。

女医は非常に高圧的で、母や妹の意見等一切聞き入れなかったらしい。

次回の検査では、絶対にぼくは参加する。
そしていちいちちくちく反論してやるのだ。


いいニュースも☆
担当の作業療法士さんが、
「yesなら手を頭上に挙げ、noなら手を左右に振ればいい」
とアドバイスしたところ、父はすぐさまそのやり方で、意思表示し始めた。

「お父さん、リハビリ好き?」
手を挙げる。
「お父さん、ヒゲ剃って欲しい?」
手を挙げる。
「看護婦さんはみんな優しい?」
手を左右に振る。

そんな感じだったらしい。嬉しくてたまらない。

192日目 

家族会議の結果、もう二度と昨日の女医には検査といえども父を診て欲しくないという結果に至り、担当医師にその旨を母が伝えた。

だが、検査する医師はその女医しかいないので、どうしようもない。
しかし、検査当日に、その女医から父に話しかけたり、なにかを飲ませたりといったことは一切させないという約束を取り付けた。

そして、次回の検査では、どうあってもぼくは参加して、女医がなにかしそうなら、
いちいちちくちく意見してやろう。


昨日に引き続き、yesなら手を挙げ、noなら手を振る方法で、母はいろいろ父に話しかけた。

「顔を拭こうか?」
手を振る。no

「ヒゲ剃ろうか?」
手を挙げる。yes

「ローション塗ろうか?」
手を挙げる。yes

「いま湯布院にいることが分かる?」
手を振る。no

「ここから由布岳が見えるのが分かる?」
手を挙げる。yes

「今日のお風呂は気持ちよかった?」
手を挙げる。yes

「リハビリは楽しかった?」
手を挙げる。yes

「今日は先生に用事があって早く来たからもう帰ろうと思うんだけど、いい?」
手を振る。no


とても簡単なコミュニケーションだけど、母は父と会話ができたと、大喜びだった。ぼくも非常に楽しみだ。

こんな簡単なコミュニケーションだけど、ヒントをくれた作業療法士さんには、感謝の気持ちで一杯。嬉しくて嬉しくてたまらない。

201日目 

今日は日曜日。リハビリはお休み。
4日ぶりに面会に行くと、父の調子が驚くほどよくなっていた。
何か尋ねると、はっきり首を縦に、横に振るようになっていた。


「最近お父さんは右手でパジャマを引っ張って『帰りたい! 帰りたい!』っていうのよ」
母が電話口で言っていた仕草を目の当たりにして切なくなった。


まだ家に連れて帰ることはできないけれど、ぼくは父をどうしても外に連れ出したいと思った。そこで看護師さんに車椅子に乗せてもらい、
「ちょっと散歩に行ってきます!」
と言って、裏口からちょっとだけ外出♪

驚いたことに、車椅子に乗った父は、看護婦さん達に右手を挙げて
「じゃ! 行ってきます」
そんな仕草をするようになっていた。


由布岳の山頂周辺には、まだうっすらと雪が残っているけれど、
畑のあちこちに、植木のあちこちにもう春がこっそりひそんでいる。
だけど時折吹く強い風がまだ肌寒い。

「寒い? もう病院に戻る?」
外に出てすぐ父に尋ねると頭を縦に振り
「寒いから戻るぞ!」
と頷いた。

一旦病院に戻ってまた尋ねると「もう一度外に出たい」と頷いたので、ぼくの上着を着せて再度外気に挑戦し、二度目はちょっとだけ日向ぼっこした♪


ほんの5分か10分くらいだけど外に出た!


それから食堂へ連れて行って「お茶飲む?」と聞くと「飲む!」と頷くので
まず空のコップをテーブルに置くと、なんと父はコップを持つではないか!

母はやめときなさい!と言っていたけれど、どうしても父に、父が好きだった熱いお茶を飲ませたくて、熱い熱いお茶をチョビットだけコップに入れて、手を添えて飲んでもらった。熱過ぎたらしくて、父は顔をしかめてお茶を出した。

ベッドに寝かせて帰る時、父は右手を口元にあてていた。
悪いことをしたなぁと思った。

きっと、父は大好きな熱いお茶を、やがて飲めるようになる。そんな気がする。

202日目 

作業療法のリハビリ中に、父が自分の名前を書いた!

それも漢字だ!!!

母の名前も書いた♪

クモ膜下出血で父が倒れて200日を越えて、初めて書いた名前。
宝物の紙切れは、

 どこにもなくしたくない

そういって母は冷蔵庫に貼りつけた。

206日目 

右手がかなり普通に動くようになってきた。
これまではガタガタと震えながら手を上げたり下ろしたりしていたけれど、
震えがほとんど収まり、グーチョキパーもできるようになっていた。
「1たす1はなに?」
ときくと、2と、指で答えることができる!
引き算もかけ算もできた。

耳が痒かったらしく、人差し指を立てて耳の穴に指を入れた時、
枕から首を持ち上げ、頭を傾けて指を入れるという動作もできるようになっていた。

ときおり、右足に力を入れて、自分なりに右足を動かす練習をしているようだった。
ちょっとした寝返りがうてるようになれるかもしれない。

リハビリでどこまで回復するのか、期待が膨らむ。

207日目 

朝、看護婦さんが病室に行くと父が
「おはよう」
と言ったらしい!

これまで「はーい!」と、返事をしたことが2度ほどあった。
いずれも家族の前ではなく、病院で、看護婦さんへの問いかけに対しての返事だが、
「はーい」という簡単な発話だけではなく
「おはよう」という言葉を発声したという知らせがとても嬉しい♪

リハビリが進んで、もっともっと自由に意思表示できるようになって欲しい。

208日目 

2005年7月27日に父がクモ膜下出血で倒れて7ヶ月。
数え間違えていなければ、今日で208日目だ。

これまでは、これ以上悪くならないよう願っていたけれど、最近は、もっと回復して欲しいという期待が膨らんでいる。倒れて200日を過ぎて、ようやく意識レベルの向上がはっきりと現れ始めた。

クモ膜下出血で倒れた場合「意識回復が見込めるのはせいぜい6ヶ月まで」と再三言われてきたけれど、ケースバイケースだと感じる。父は、倒れてわずか1ヶ月で褥瘡ができて、そこからMRが出た。また、倒れて2週目あたりからずっと下痢が続いた。微熱が続き、みるみる痩せこけていった。脳は順調に治っていったが、体力は急激に落ちていった。

脳の治療とともに、身体の治療も看てもらうため、倒れて約1ヶ月経ったころ総合病院へ転院。そして脳の看護と褥瘡の看護をしてもらい、両方の処置が順調に進んだ。下痢も止まり、熱も収まり、全ての点滴も抜けた。シャント術と胃瘻の手術もしてもらった。

倒れて5ヶ月後の年末に、ようやくリハビリ病院に移ることができた。年末だったのでリハビリ施設がお休みになってしまい、最初はあまり効果が見られなかった。ただ、病院の雰囲気がとてもよく、病室から見える雄大な由布岳を見ていると、きっとよくなるという期待が高まった。
年始の休みが明け、リハビリが始まると、父の意識は日に日によくなった。


今月は、父がクモ膜下出血で倒れて7ヶ月目。

・「yes」「no」を手や首で意思表示できるようになった。
・右手を使って車椅子をちょっとこげるようになった。
・自分の名前と、母の名前を漢字で書けるようになった。
・「おはよう」と言った。

春も近づき、暖かくなり始めた。夏までに父はどこまで回復してくれるだろう。

212日目 

嚥下の検査を精神科の女医さんにしてもらった。

先月も同じ検査があったが、その時ぼくは行くことができず、母と妹が立ち会った。女医さんは父の口を無理矢理こじ開けようとしたり、「反応は全くありませんね」などと、家族の心情を全く無視した応対をした。

検査後、主治医に、次回の検査では、女医は一切父に触れないよう頼んだ。

そんな経緯があった今回が2度目の嚥下検査。

「女医さんの応対はとにかく酷い」と、母や妹、看護師さん達から聞いていたので、今回初顔合わせだったが、ぼくははじめから女医さんに対して憤っていた。

レントゲンに近づくと「被爆しますよ!」と、遠回しに「父から遠ざかるように」と言われた。「はあ?!」である。
レントゲンを取られ続ける父は被爆し放題だし、父に物を飲み込ませる担当の療法士さんも被爆し放題だ。第一ぼくは、レントゲンの放射能ではなく、女医さんから父を守るためにぼくはレントゲン室にいるのに。なにを訳が分からないことをいうのだろうと思った。

きっと、主治医、看護師、療法士さん達は「なんて怖い息子さんかしら」と思っただろう。とにかく女医さんから父を守りたかった。

毎日リハビリをしてくれている療法士さんや看護師さん、そしてぼくが父に検査のための指示を出した。女医さんには一切父を触らせなかった。

レントゲンで父の喉を見ながら、ゼリー、とろみジュース、さらさらジュース、おかゆを誤飲せず、きちんと飲み込めるかどうか検査。

なんと、父は問題なく全てを飲み込むことができた。
女医さんは「重力で流れ込んでいる感じです」とひそひそ主治医に言っていたが、
何度飲み込ませても誤飲しないので

  「半年以上飲み込む作業をしていなかったんだから、
   飲む筋肉が落ちているが、物を飲み込むことはできる」

という結果に至った。
まずいジュースを何度も飲ませるので、最後の方で父は、口をへの字に曲げ、右手を「いやいや!」と左右に振って嫌がった。

飲み込めることが確認できたので、来週の月曜から、飲み込むためのリハビリが始まる! 飲み込むための筋肉を回復させれば近いうちにきっと、大好きな熱いお茶が飲めるようになるだろう。

そして、言葉がはっきりと話せるようになると思う。

最近、父はひそひそ話よりも小さな声で母の名前を言ったり、挨拶をしたりし始めている。これまでのリハビリに加え、飲み込むリハビリが加われば、父は声を出せるようになると思う。

ちょっと気になったのは、主治医が「ドパール」「シンメトレ」という薬を父に処方していると言ったこと。脳に働きかける薬だと言っていたが、ネットで調べてみると「ドパール」はパーキンソン病、「シンメトレル」はインフルエンザへの効果があるとあった。主治医は「シンメトレ」と言ったと思うのだが「シンメトレル」なのだろうか。よく分からない。

215日目 

日曜日はリハビリがお休み。親戚が来るかもしれないというので母と妹は午前中から病室へ行った。

ぼくと妹のいとこにあたる親戚が来てくれた。
その頃、父が大好きなラグビーの試合がTVで始まった。

ラグビーを見ながら突然右手をシュパッ!とあげたり、TVの前を母が通り過ぎると右手で「どけどけ!」と手を振った。

ラグビーが終わり、みなでお喋りをしていた時、妹は父の足をマッサージした。
ちょっとくすぐったかったのか、突然父は妹にむけて「あっかんべー」をした。

ふざけている様は、倒れる前の父と全然変わらなかった。


めきめき回復している父に会いたいが、ぼくはまたもや風邪を引いてダウン。
完治するまで面会に行けない。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。