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159日目 

山奥の家でしておきたいことを大晦日までしていた。
竹を切って運んだり、雪かきをしたり、駐車場近辺のノリ面を整備、車の洗車などを午前中までにすませて、昼過ぎから病院へ行った。
元旦はゆっくり過ごしたかった。
昼過ぎから高塚地蔵尊へ初詣。想像以上の人出に驚きつつ、久しぶりに華やかな場に自分が混じっていることに気づき、ちょっと嬉しかった。病院へ着いたのは結局夕方の5時。きっと父はゆっくり眠っているか、左目をぼんやり開けているかだろうと思いながら枕元へ向かうと、父はちょっと起こったような顔をして、握った右手をガタガタと震わせ、右足もガタガタと震わせながら遂には立て膝までついた。
じっと目を見ていたら、空を観ていた父の目が、ぼくの目を睨みつけるように見た。遂には唇をワナワナと震わせながらへの字に曲げ、息を荒げながらやけに非道く怒っていた。

何も倒れてまでぼくについて、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。
どんな角度から父を見ても、父はぼくに怒っているように見えた。

元旦なのにだらけた朝を過ごして知らないうちに母を苛つかせ、先に面会に来た母が父になにか言ったのだろうか、などと疑心暗鬼になってしまい、帰宅した時ちょっと口論になった。

寝る前になって分かったのだが、父は怒っていたのではなく、久しぶりに訪れた母方の伯父の声かけに興奮していたのだった。

元旦から家ではいろいろあり、先が思いやられるが、いろいろ考えさせられるお正月となった。

・久しぶりに発熱。
・山奥では夜8時以降、凍結の恐れあり。
・親しき仲にも礼儀あり。疑心暗鬼の素は自分の中にある。
・自宅介護について、一通り調べて、今後何が必要なのか、問題を絞り込む。
・そもそも介護というものがなんなのか、きちんと勉強すること。

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160日目 

ぼくは、今日面会へ行った後、大分から福岡へ帰ろうと思っていた。
来週の休みにはまた面会に行くつもりだけど、雪が降ったらなかなか簡単には行くことができない。次、いつ来れるか分からない。だから今日はいつもよりちょっと気合いを入れて面会へ行った。

新聞のテレビ欄で確認し、12時過ぎに始まるラグビー中継『関東学院×同志社大学』に間に合うよう、ぼくは一人早めに病院へ向かった。
ちょうど12時に病院へ着くと、まず父のひげを剃ったり顔を拭いたり鼻をキレイにしたりした。
そして父とラグビーを見ながら、首、両腕、両足のマッサージを念入りに行った。

父は、ラグビーよりも箱根駅伝のほうがちょっと気になっていたようだった。でも、マッサージを始めるとテレビへの関心は全くなくなり、リハビリマッサージに気持ちを集中していた。

2時頃母が到着し、それから1時間ほどすると父方の伯父が新年の挨拶に来てくれた。
帰省ラッシュと道路の凍結が不安だったので、4時20分に病院を去り、福岡へ。

帰省ラッシュもなく、夜7時過ぎに一人、福岡の家へ辿り着いた。
家に帰る途中、ゴンタと歩いた散歩道を一人運転していると、涙が出そうになった。だれも待っていない家に帰るのが辛かった。
これからは母、妹、ゴンタは山奥の家で暮らし、福岡で暮らすのはぼく一人となる。
10年以上一人暮らしを続けてきたから一人暮らしは慣れている。
ただ、父が倒れた後の不安な生活で、ゴンタとの散歩ほど楽しかったことはなかったからとても淋しくて残念。

仕事は4日から始まるが、帰宅してすぐはきっと無気力になってしまうだろうと思い、2日のうちに帰ってきておいてよかった。

大雪が降らなければ、ぼくはまた次の休みに面会へ行く。

・首、両腕、両足のリハビリマッサージをした。
・熱は昨日37.8度まで上がったらしいが、今日は36度までに落ち着いた。
・年始のお休みなのでリハビリもお休み。
・転院当初2日目までは、夜あまり眠っていなかったようだが、それ以降は夜ちゃんと眠っているらしい。

164日目 

父の住民票がある地方の役場へ行って、国民健康保険証への切り替えと、障害者手帳発行の手続きをした。

クモ膜下出血で倒れた父には重い後遺症が残っており、それは障害者として認定されるほどのものらしい。認定されたら、特別な車椅子やコルセットがもらえたり、車椅子で通るためのスロープを庭の段差に作るための助成が得られるらしい。

母が揃えた書類を持って役場へ向かっている最中は、「介護認定」の申請だと思っていた。役場で話を聞いているうちに、「障害者認定」だと分かり、辛かった。

介護認定、障害者認定ともに父は受けられるのかもしれない。
障害者年金も得られるのかもしれない。

1級障害者になると、3割負担の医療費全額も助成されるらしい。そのためには両親の所得証明書が必要らしい。

しかし、障害者年金を得た後に、父が38年間払い続けてきた厚生年金を受け取れるのかどうかは社会保険事務所へ行って相談してみないと分からない。


また、介護、障害者、としてだけではなく、世の中には65歳以上を対象とした、高齢者認定というのもあるらしい。

知らなかったことばかりだったから、新しい情報を知る喜びはあるけれど、それはなんだかとってもやるせない気分にさせる。

挫けずに、次から次に、色々な申請をして、あちこちの役場や社会保険事務所へ行って、確定申告の準備もしなければならない。

がんばろう。

175日目 

昨日、日本語教師採用にむけた二次審査として
模擬授業をしてきた。
約1年半ぶりに教壇に立ったけれど、
なかなか面白かった。
面白くて調子に乗ってしまって後半大失敗。
まだ連絡ないけれど、今回は無理だ。


父の入院している病院へ1週間ぶりに行った。
相変わらず由布岳が美しくて、
田舎で暮らす母と妹を見ていたら、やっぱりぼくも田舎で暮らそう。
由布岳を見ながらタクシーの運転手でもしようかと思った。
そう思わせるほど、由布岳は爽快で美しい。

父は、調子がよく、今日は作業療法士さんのリハビリで、
久しぶりに右目も明けながら、積み木を積む作業ができた。
作業療法士さんの補助があったものの、積み木を積めたことは大きな成果だ。
嬉しい。

176日目 

今日は3色のゴム棒を箱から箱へ動かすリハビリができた。
昨日に続いて今日も父は調子がよく、自発的動作が徐々にできるようになってきている。
言葉がまだ全然話せないのが残念だけど、右手を動かす精度が増せば、携帯電話やPCキーボードとかで意思表示ができるようなるのかもしれない。
失語症の可能性があるのかどうかが気になる。
午前中に行われている言語聴覚のリハビリで、どのくらい嚥下訓練されているのかが気になる。
右脳に損傷があり、感情的な部分での障害が残り、例えば怒った感情が暴走して暴力的になったりといったことがなければいいなぁと思う。

リハビリが好調に進み、よくなってくると、その次の心配と期待が交錯する。
自宅介護の予定日が近づくにつれ、今後のぼくの仕事をどうするか、迷いが大きく膨らむ。

177日目 

少し熱があり、痰が出る。
リハビリ中はよだれを出しながら、
ゴムの棒を移動させたり、輪投げの輪を持って輪投げの棒に入れたりといった、
自発動作をした。

リハビリ中、調子がいいと右目も明くようになった。
3ヶ月ほど充血していたのもだいぶよくなったようだ。


鍋 

本当に久しぶりに、友人とお酒を飲んだ。
転勤族だったぼくにとって、数少ない子供の頃からのつきあいで、かけがえのない友人。彼の父は昨年の秋にこの世を去った。

ここ半年ほどぼくは飲み会は1度、会社の送別会に参加しただけ。
外食したいとも思わないし、誰かとはしゃいで飲みたいとも思わない。
ただこの親しい友達とだけは、たまに会って一晩中くだらない会話をしたい。
ぼくも、友人もあまりお酒は飲めないので、大概、コーヒーを飲みながら煙草を吸って、へとへとになりながら一晩中お喋りをする。

本当に久しぶりに誰かと長い時間お喋りをした。
もともとあんまりお喋りをするほうではないから、とても体力を消耗する。
でも、ほんわりと楽しい、柔らかい気持ちになれた。
またちょっと頑張れる。

180日目 

37.5の熱があり、咳をするたびに痰が出て、痰取りが忙しかった。
でも、今日痰を取ってくれていた看護師さんは痰取りが非常に上手で、父はいっさいオエェとならなかった。

日曜日はリハビリがお休み。
父は「あーあーあー」と、よくうめいた。
咳や痰の辛さから呻いているような感じではなく、リハビリがしたくて、身体が動かしたくてたまらないといった感じに見えた。
言語聴覚のリハビリでなにがされているのか知らないけれど、うめき声でもなんでもいいから声を出すようにいわれているのだろうか。いわれてないとしても、うめき声でもいいから声を自発的に出してくれると嬉しい。

181日目 

月曜日。父はリハビリを受けられる。
今日も自発運動があった。
妹が病室から帰るとき、
「父が手を振ってバイバイしてくれた!」
と妹は大喜びで帰ってきた。

妹は年とともに気が強くなり、正確もちょっと激しく、最近大げさに物事をいうので眉唾で、話半分で聞かないといけないのだが、それでも妹が喜んでいるのでいい。

182日目 

確か、1月6日(金)だったと思うが、大分の役場へ行って、障害者手帳の申請に行った。
3週間くらいでできるだろうといわれていたが、1月20日頃、手帳ができたというお知らせが郵便で届いた。

手帳が交付されたら、医療費等の負担金について、助成金を得るための申請をする必要があり、そのためには昨年度の両親の所得証明書が必要なので福岡の役場でもらってきた。

また、共済保険の手続きで、父の戸籍謄本も必要とのことだったのでついでにもらってきた。

1月26日に、大分の役場へ行って、あれこれ申請してくる予定。




☆★《余談》★☆

日本の国民を守る制度というのは非常にきちんと整備されていると思う。
障害者や患者、ひいては山谷やアイリン地区のホームレスまで守られている。

医者の友人に聞けば、そういった助成金を悪用する人も大勢いるらしい。


例え消費税が欧米並みの15%になったとしても、イザ何かあった時、経済的にも精神的にも手を差し伸べてくれる制度は残していって欲しい。
でも最近、少子化がすすみ、国民の負担を減らすために、歳出を減らす目的で、医療費などの助成金を削除する方向へ進んでいる。

これから団塊の世代の人たちが引退し、その経済効果がよくニュースで取り上げられているけれど、みんながみんな、健康な老後が迎えられる訳ではない。
高額医療費の助成がなくなったり減額されたりされると、不幸に遭ってしまった時、周りの家族は経済的に追い込まれるようになるだろう。

一回の手術費用で200万円以上請求され、ICUに1泊3~5万円を支払い、2度目、3度目の手術費用は100万円前後と下がるものの、最初の1ヶ月に必要な費用は合計すると500万円近くなる。
後日確認したところ、500万円もかかっていませんでした。すみません。一回目の手術費用は120万円程度で、ICU宿泊料、2度目、3度目の手術費用を入れても一ヶ月に必要な費用は200~300万円でした。ただ、交通費、おむつ代、パジャマや毛布、低反発枕、シーツ、バスタオル、下着などの雑費を加えると、結構ばかにならない出費がかさみます。
社会保険事務所や各企業の社会保険組合の対応次第ですが、高額医療費の助成金はすぐには得られません。助成金がおりるまでには500万円くらいはないと、倒れた家族の心配と同時に、お金の心配(=患者の延命費用&家族の生活費)もしなければならないので、命が削られるような気持ちになります。やはり500万円以上の貯金は必要だと思います。
いずれにせよ、大雑把に、大げさな表現をしてしまい、誠に申しわけございませんでした。


自衛手段としては、生命保険に入るくらいしかないけれど、年金、健康保険、生命保険を払いながら、自分自身の老後に向けた貯蓄を考えると、もうなんだかもの凄く退屈な生活しかできないような気がする。子供を育てるだけの経済的、心理的余裕が考え難い。

ただ、生命保険や助成金が得られたとしても、取りあえず貯金がなければ、当面の支払いができない。まず支払った後、申請して2ヶ月以上経たないと、高額医療の助成金が受け取れなかったりもする。

ぼくの両親はひたすら貯金をして、さらに早期退職金も足した相当な金額を老後に当てる計画だったから、今のところまだ医療費は支払える。でも、今の状態が何年も続けば当然貯蓄はなくなる。ぼくや妹は自分の老後を考えながら、両親を助けていかなければならない。

ここで追い討ちをかけるように、国が高額医療費や障害や介護の患者負担を増やし始めたらもうどうしようもなくなってしまう。

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