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129日目 

以前いた病院で褥瘡が直径6cmもできた。転院して良くなったかにみえていたが、仙骨(?せんこつ?)の辺りに袋ができていたらしい。
風邪で病院に行っていないので、母から聞いた話だからいまいちよく分からないのだが、要は、褥瘡の見た目の傷の下、皮膚の下で、治っていない褥瘡があるらしい。

その検査を形成外科の先生にしてもらう予定だったらしいが、忙しかったので今日はできなかった。

転院する直前の父の状態は、脳の方はほとんど問題がないので意識が回復しない理由が分からないといわれていた。転院後、ずっと続いていた微熱の原因が、褥瘡もしくは下痢であることが分かった。

今の病院では褥瘡も下痢についても細心の注意を払ってくれているから本当に嬉しい。
看護師である妹が、
「褥瘡のせいでお父さんが死んでしまう!」
と気づいてくれなかったらどうなっていたことかと、想像するのも恐ろしい。


病院の長所、短所を判断するために、患者側も医療の知識が必要なんだと実感した。

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131日目 

リハビリの先生が
「ひげ剃りでヒゲをそろうとする動作があります。今後訓練するといいと思います」
といったメモを残してくれていた。

これまでは、母が毎日T字カミソリでヒゲを剃っていたけれど、先週から母は電気シェーバーで父のひげを剃りながら
「こーやって持って――自分で剃れれる?」
と、父の右手に持たせてひげ剃りの練習をしていた。その成果か、リハビリの先生が父にひげ剃りを試してみた所、自分でヒゲを剃ろうとする動作が認められた。

脳外科の先生は
「いまのレベルで満足していては行けません。もっともっと良くなると思ってください。そのための治療をどんどんして、リハビリもどんどん試してみてください」
と言ってくれている。

ぼくたちは、父の意識が、もうあまり回復しないのではないかと、半ばあきらめかけていたのかもしれない。
きっと、お父さんは、もっと良くなって、話ができるようになると、もっと信じて看病しなければならない。

ぼくの風邪もほとんど治り、今では時々咳をするくらいになっているので、明日の夜は病院に面会に行こう。半月ぶりだ。

133日目 

昨日から今日、明日の3日間、母はヘルパーの資格取得に必要な「介護実習」へ行っている。
朝8時過ぎから夕方6時前まであるので父の面会にはぼくが行っている。
父の面会に行って洗濯物を取って、新しいパジャマや下着を補充しないと、父の着るものがなくなる。
ぼくの風邪も治ったので、ようやく面会に行けるようになった。

昨夜久しぶりにお見舞いにいくと、父はちょっと無精髭を伸ばし、左目を明けていた。
母が言っていたように、時折ちょっと辛そうで切なそうな表情をしていた。
暖かいタオルで顔を拭いて、ひげを剃り、目薬を差し、シェービングローションを塗って、右手のマッサージをした。
すっきりすると、気持ち良さそうな顔をして、ぼくの話を聞きながら、明けていた目を閉じて、ぼくが帰りやすいようにか、帰る前に眠ってしまうためか、眠ろうと努力しているような感じだった。閉じた瞼に力が込められている様子だった。

胸から静脈に入っていた栄養価の高い点滴が抜けていた。そういえば先週、胸の点滴が抜けて母が喜んでいたのを思い出した。
1日3回、豆乳べ-スの栄養剤が鼻のチューブから胃に入っている。以前、牛乳ベースの栄養剤で下痢をした影響があるのか分からないけれど、1回の食事は、3時間近くかかっているらしい。1日9時間かけて、豆乳ベースの食事をしている。

ベッドの側にある台に、ガラス製の急須みたいな、寝ている人に水を飲ませるのによさそうな入れ物があったのが気になった。嚥下(えんげ)訓練もしているのだろうか。今度看護師さんにあったら聞いてみよう。

風邪を引いて行けなかった2、3週間の間に、父の状況が結構変化していた。
意識回復のために、やがてお腹に穴を開けて、そこから食事を胃に直接入れられるようにするらしい。
鼻にチューブが入りっぱなしだと、異物感でどうしても声を発せないし、痰もたまり、父の感じているストレスも尋常じゃないだろうと、医者が言っている。「いろう」という処置らしい。
最初聞いた時は、もうこれ以上父の身体に人工物を入れたりするのは勘弁して欲しいと思ったが、喉にグイっとチューブを入れやすくする器具が入っているよりは、とりあえずお腹に穴を開けた方が、生きていて過ごしやすいだろうと思った。

なにか話せるように、意識回復が期待できることは、全部するべきなんだ。

135日目 

今日はぼくの仕事が休み。母は介護実習のため朝から近所の病院へ行った。
母の介護実習は月曜日から3日間行われ、今日が最終日だ。月曜日の日は朝からみぞれが降っており、母が自転車で出かけたあと、心配になって車で追いかけた。
火曜日は冷たい雨が降っていた。後から心配になって車で追いかけるくらいなら、最初から車で送ったほうが楽なので、早起きして送った。
今朝も送った。
慣れない早起きをして、休日もなんだか嫌な疲労が続いているが、きっと母の方はもっと疲れきっているだろう。56歳にもなって、ヘルパーの資格を取得しようとしているのだから。

昼から父のところへ行った。
暖かいタオルで顔を拭いてやるとちょっと呻いて、起きた様子だったが、看護師さんがおむつを交換している間にまた眠ってしまった。
ひげを剃っても気持ち良さそうに眠っていた。気持ち良さそうに寝ているので、山口百恵のCDをかけたまま、病室を去った。

帰宅すると、妹と母が電話で明日の胃瘻(いろう)手術についてしゃかりきになって話していた。

「お腹に穴があくなんて絶対に嫌だ!」
と感じたけれど、

・鼻のチューブへのストレスがなくなること
・その後の介護のしやすさ
・意識回復への影響

を考えると、胃瘻手術は受けた方がいいという結論に至った。もう2週間も前からぼくたち家族は真剣に「胃瘻手術について」話している。看護師である妹はもとより賛成だったが、ぼくと母が感情的にちょっと反対していた。でも、妹や医師の話を聞いて、ぼくも母も既に全く賛成している。
いまさらどうしてそんなに話があるのだろうかと感じるほど、妹と母はよく喋っていた。胃瘻についてだけではなく、全てのことに対して言えることなのだが、どうして同じような内容で、同じように楽しく、長い間お喋りができるのだろう。全く理解ができない。


ともあれ、予定通り医師のスケジュールが空いていれば、明日、父はお腹に穴が空く代わりに、鼻のチューブが抜ける。

136日目 犬のゴンタ 

朝起きて「今日お父さんの手術だよね」と言ったら
母に『明日よ』と言われた。

どうやらぼくは勘違いしていたらしい。なんだか気が抜けて、休日の今日は久しぶりに犬のゴンタと遊んで過ごした。



10年くらい前、ぼくたち家族は横浜で暮らしていた。父は横須賀へ、ぼくは渋谷、妹は横浜へ、それぞれ仕事や学校へ通っていた。その頃、福岡の家を離れて10年が経ち、家が心配なので母だけが福岡へ帰ることになり、やがて追いかけるように妹も福岡へ帰った。

ぼくと父が関東で働いている頃、福岡の家の前で怪我をした、柴犬くらいの大きさの野良犬が倒れていた。はじめは嫌だなぁ、困ったなぁと思ったらしいが、母は放って置けなくなって病院へ連れて行き、噛み付かれたりしながらも野良犬を飼いならし、『ゴンタ』と名付けた。

飼い始めた頃、母も妹も自宅に帰る度に吠えられ、餌をやれば噛み付かれ、散歩へ行けば逃げようとしたり、道なき道を容赦なく連れ回したりしていた。
やがて父も福岡へ帰り、同じようにゴンタに振り回されていた。

父方の祖母が数ヶ月間だけ福岡の家に滞在した時期がある。祖母はどうやったのか分からないが、ゴンタに「おすわり」と「お手」を教えた。それ以来ゴンタの噛み付きがちょっと収まり、ちょっとずついい子になった。

父と母がゴンタを散歩していて、ちょっと油断した隙に駆け出して逃げたことがあった。あまりにも激しく走って行くから
「腹が減ったら帰ってくるだろ」
そういって、父も母も追わなかったらしい。

一夜明けて、ゴンタはちょっと怪我をして帰宅した。
母に言わせると
「追いかけなかったから、どうも拗ねてしまって、また言うことをきかなくなってしまったのよねぇ。目つきが悪いのよ。」
という状態が数ヶ月続き、やがてまたちょっとづついい子になり始めた。

昨年ぼくが実家へ帰って来た時、ゴンタは何故か、ぼくに吠えず、ほとんど噛み付かなかった。多分家族だというのがなんとなく分かったのだろう。

父がセカンドハウスを建ててから、母が田舎へ行くときはゴンタも一緒に行くようになった。
「やっぱり捨てられたのよ。だから車が嫌いなのよ。」
母はずっとそういっていたけれど、ゴンタは車に乗ることにも慣れた。
でも慣れない田舎暮らしはゴンタには辛かったようで、ちょっと痩せた。

父が倒れてしばらくして、ゴンタが2回りほど痩せて小さくなっていることに気づいた。
「やっぱりお父さんが帰ってこないから心配しているのかしら…」
「お父さんはゴンタによっぽど餌をあげてたんじゃない?!」
「『最近ゴンタがなぁ、散歩の時"止まれ!"と言うと止まるぞ!』ってお父さん言ってたけど、止まるたびにお父さんゴンタにガム(クッキーみたいな犬用お菓子)あげてたから止まるに決まってるじゃんねー!」

そんな話を母や妹とした。
つい先週、ぼくは初めてゴンタを叱った。レモンガスの交換に来ているガス屋さんに向かって、ゴンタがあまりにもしつこく、そして獰猛に吠えているから、右足で地面を一発強く叩き鳴らしながら
「ゴラ!ゴンタ!!!」と。

ゴンタは耳としっぽを下げ、大きな目をつぶって怯えた。
なんだかすごく嫌な気分になって、ぼくはそれ以来ガムや餌を沢山あげるようになった。
父が倒れる前の、太ってていかつかったゴンタに戻るように。

137日目 

胃瘻の手術は数十分で終わった。

朝起きると、母は既に病院に行っていた。出勤準備をしていたら家の電話が鳴り響き、取る間もなく切れた。念のため母の携帯に電話すると、ちょっと心細そうだった。
仕事先に電話してみたら、なんとか休めそうだったので、急遽休みをもらって病院に駆けつけた。
着いたら父はもう検査へ行き、そのまま手術をする状況。母は一人、病院の最上階にあるロビー兼食堂みたいな所で新聞を読んでいた。お喋りをしている間に手術は終わり、父は薬で眠って病室に戻って来た。


一週間ほど前に胸に刺さっていた静脈への点滴が取れ、今週の月・水は、約110日ぶりとなるお風呂に入った。
そして胃瘻の手術のおかげで、半年近く鼻に入っていたチューブが抜けた。
遂に父の顔からチューブ類が全て抜けた。


とっても気持ち良さそうに眠っていた。
時々、鼻や喉を鳴らすようないびきをしたり、あくびをかいたり、咳をした。
レム睡眠のせいなのか、瞼の下の目が、くりくり動いたり、目をつむったまま瞬きをしたり。

とにかく本当に久しぶりに気持ち良さそうに眠っていた。
これまでの処置の中で、今回の胃瘻の手術が一番、父にとって心地の良いものだったのではないだろうか。


そろそろ、今の病院からリハビリ病院への転院を考えなければならない時期だ。
今の法律では病院には長くても大体3ヶ月くらいしか入院できない。
つまり、あと3ヶ月ほどで、自宅介護が始まるのだ。
次の転院は、そんな覚悟を、ぼくたち家族に気づかせるものだ。

帰宅後母が初めて、お墓についてぼくに話しかけて来た。
「霊園は嫌だねぇ。神社とかお寺がいいなぁ」
「なに言ってんの。神社は違うわよ」
最近ぼくは、主観的な感情を込めた話をしなくなっている。それは別に嫌なことでもないし、悪いことでもないけれど、ちょっと寂しいことかもしれない。ちょっと注意しよう。

138日目 

鼻のチューブが抜けたことで、父の意識回復が早まるのではないかと期待して、仕事帰りに病院に立ち寄った。

夜9時頃病室を訪れると、父は何かを見ている感じではないけれど、左目を明けていた。
夜行くと、目を開けていることが多い。そして昼行くと目をつぶって眠っていることが多い。ひょっとしたら、父は夜起きていて、昼眠っているのかもしれない。

ウェットティッシュで顔をちょっと拭いて、右手を握って、昨日の手術のことや、これからのことをゆっくり小声で話した。

眉間から鼻にかけて、人差し指と親指でつまんで、優しくマッサージすると気持ち良さそう。鼻からチューブが抜けて、本当によかった。

帰る間際、ぼんやりと中を見ている視線の先にぼくの顔を持って行って、目を合わせてみた。
父と目が合った時、これまで感じたことがない感覚が一瞬強烈にあった。
目が合った瞬間、サァーっと父の目に吸い込まれ、
「おお、おまえか! 分かるぞ!」
そんな父の感情が目から伝わった。

目が合ったまま、顔をゆっくり上下左右に動かすと、父の目が、ぼくの目を追いかけるようになった。これまで、父はぼんやりと見えているようだったけれど、はっきりとは見えていないような感じだった。それが今夜、父は明らかにぼくの目をとらえて、ぼくが位置を変えるとぼくの目をみながら目を動かせるようになった。

意識が回復して来ていて、身体が動かないのだとしたら、父が喜ぶような楽しみを運んであげたい。
今度、落語のCDを借りて持って行ってみたい。
今度、司馬遼太郎の本を持って行って読んで聞かせたい。
漫才の番組を録画してみせてあげたい。
いろいろ試してみたい。
父がせめて、右手だけでも動かせるようになって、好きな時に好きな本やテレビやCDが聞けるようになればいい。
右足がもっと動くようになって寝返りができるようになって欲しい。

3ヶ月ほど前、父は一度だけ声を出したことがある。
妹の友達の看護婦さん達がみなで
「おいちゃーーーん!」
と大声で呼んだ時
「はーい」
と一回だけ答えたのだ。

一度できたなら、できるようになるはずだ。そう信じて、ゆっくり父の回復を待ちたい。

139日目 

母の兄が、お見舞いに来てくれた。
「仕事で近所まで来たから…」といって、大きなバスを運転して来てくれた。

伯父がくると、父は右手を震わせながら上げ、顔を真っ赤にして、一生懸命応えようとした。
「分かった分かった。もういいからちと休め!」
父があんまり一生懸命動こうとするから、伯父はちょっと心配して、そんな言葉を何度も言った。

伯父が帰った後、父が右手を震わせながら首の方へ持って行き、顔をちょっと持ち上げた。妹とと母は父が何をするのだろうと、静かに見ていた。見ていると、どうやら自分のやりたかったことが達成できなかったようで、宙に浮いた右手と首が中途半端な所で止まり、「ああぁぁ…」とうめき声を上げた。

ゆっくりとだけど、父は回復して来ている。

142日目 

胃瘻の手術後、2日ほど微熱が続いていたけれど、3日目には36.8度まで下がった。
そして、3日目には胃瘻を使った食事も始まった。

3日目、4日目はちょっとやつれたような気がしたが、母と妹はそんなことないと言っている。

5日目は、母と妹が病院へ行くと車椅子に座ってナースステーションにいた。しかし、頭が後ろにガクンと落ちてしまっており、久しぶりに首がすわっていなかった。その姿を見て妹はまた泣いてしまった。

6日目の今日も、面会に行くと車椅子でナースステーションにいたが、首はしゃんとしており、しっかり座っていた。

ここ3週間ほど、父の右目から目やにがでており、瞼をひっぱって目を見ると充血している。痛そうにしているのが心配。点眼液を買って、じゃんじゃん差すように母には言っているけれど、母はヘルパーの資格取得に向けた実習で忙しそう。
明日も買っていないようだったら、買って持って行って差して、看護師さんにもちょっとお願いしてみよう。


143日目 

夜、仕事帰りに病室へ行った。夜行くと大体いつも目を開けていて、ぼんやりとなにか考えながら起きているように見える。今夜もそうだった。

熱があったのか、食事が終わったばっかりのせいなのか分からないけれど、玉のような汗を額に浮かべていて、驚いた。パジャマを触ってみると寝汗をかいているようだったが、体はさほど熱くなかった。
布団が暑かったのか、熱があったけれど汗をかいてよくなったのか、よく分からなかった。

ぼくはマフラーも取らず、ティッシュで父の額の汗を拭き、ウエットティッシュで顔を拭いた。マフラーを取り、上着を脱いで、熱いお湯でタオルを濡らしてよくしぼり、顔を拭くと、とても気持ち良さそうな顔をした。

できればパジャマを着替えさせてあげたかったけれど、ぼく一人ではできないから、看護師さん達にまかせることにした。


ベットの側に座って手を握り、仕事のことや家族のことをぽつりぽつり話しかけた。時々ゆっくりと表情を変えたり、プップッと空気をはじき出すような感じで口を動かしたり、口をもぞもぞ動かして、相づちをうってくれているみたいだった。


消灯になり、病室の電気がパッと消えた。お休みと言って帰った。

目をうっすらと開けて、穏やかな表情でぼくを見ている父に話しかけていると、
「おぉ、そうか。そんなことがあったか」
と口数も少なく応えてくれそうなほど、父の表情は倒れる前と変わらなかった。
想像したり考えると辛いので、ただ現実をぼんやりと眺めるように期待するしかない。

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