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97日目 

夜10時頃面会に行くと、左目を明けて中空をぼんやりと妙に澄んだ目で眺めていた。
熱はなさそうだったが、首の周りを冷やしていたようなので、ちょっと熱が出ていたのだろう。

ベッドに腰掛けて父の右手を握り、声をかけた。
家族の状況やぼく自身の状況を話していると
「がんばれ!」
といわんばかりに、父は手に力を入れ、ぼくの右手を握ってくれた。


咳をし、どうやら痰がたまっているようだった。
「看護婦さんに痰を取ってもらおうか?」
と聞くと首を左右に振った。

でも、やっぱり痰が絡んでいてちょっと苦しそうだったなので、帰りしなに看護婦さんにお願いした。

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98日目 

早期退職するまえに、職場で仲良くなったという、
父の友人がお見舞いに来てくれていた。

病室には、名刺と、6時間分消費されたテレビカードが残っており、
随分長い間いてくれた様子。

夜6時頃、母が病室を訪れた時には、父は目を開けており、意識がしゃんとしているように見えたらしい。

医師が、脳圧を減圧してくれたことも、良かったようである。

99日目 

午前中にリハビリを受け、午後はベッドの上で数時間座った状態で、ずっと目を明けていたらしい。


101日目 

額に玉のような汗をかき、目を明けながら眠っているような感じだった。
洗濯物を回収し、きれいなタオルやパジャマを棚にしまって、すぐティッシュで汗を拭いた。
それから、タオルを熱湯に浸し、きつく絞って顔や手足を拭くと、気持ち良さそうな表情をした。

肘の辺りを冷やしていたようなので、熱が若干あった様子。
熱いタオルで拭くと、咳をし、喉に痰がたまっているようなので、看護士さんを呼んで取ってもらう。
ひとしきり痰を取り終えると
「あぁあぁあぁ~~~~~~~」
と、ため息のようなうめき声をあげた。

好きなTVをつけ放しにして、右手のマッサージをゆっくりと時間をかけて行った。
指を動かしたり、手首、肘、肩をゆっくり上げ下げするだけで、ぼくは汗だくになった。
マッサージをしている間、父は左目を細く明け、口をすぼめ、真剣な表情で、麻痺していない右手、右腕の動作を確認しながらマッサージを受けているようだった。


喋ったり、右手で細かい動作をしたりすることはまだできないし、熱も若干出ている。
しかし、悪くなっていないということが、父には良くなっていることだと思う。
先日の水頭症手術を実施するまでは、右手も動かなかった。

尾てい骨の所に6cmもの褥瘡(じょくそう)が以前いた病院でできてしまい、心配のあまり転院を早めた結果、1週間に1cmずつ回復しており、今では3cm以下になっているらしい。
不思議なことに、褥瘡をこしらえてくれた病院では、褥瘡を見せてくれたけど、褥瘡をぐんぐん治してくれている今の病院では褥瘡を見せてくれない。
ただ、今父がいる病院は、半年前まで妹が看護士として勤務していた病院なので、妹は友人に頼んで1度だけ見せてもらっていたけれど。


妹は、11月の頭から、別の病院で看護士の仕事を始めた。その病院は、父が昨年立てた山奥のセカンドハウスから1時間で通える。また、元々ぼくたち家族が住んでいた家には、高速を使えば1時間で通えるという、非常に便利な所だ。

母はヘルパーの勉強をし、日々学んでいることを、父の看病に活かしつつある。

ぼくも頑張ろう。

また、眠れない夜。 

やっと、これからだったのに――。

ずっとずっと、辛そうな、奥歯に力入れて踏ん張って頑張って頑張り続けて、
最後の最後に転勤の辞令が出て、もうたまらんから早期退職をして、
退職金をはたいて、妻の実家にほど近い場所にちっちゃなセカンドハウスを建てた。

ようやくこれから、誰気兼ねなく、好き勝手に、自分の好きなように生きていられるはずだった――。


戦後の貧しい時代に、金持ちの親戚の元へ、小学生の頃里子に出され、
その後実家に戻れたものの、学生服は兄貴達のおさがりでつぎはぎだらけ。
一番上の兄貴からの仕送りと、新聞配達で高校を卒業し、
成績は優秀だったけれど本番に弱かったのか、希望していた会社には就職できず、
なんとか就職した会社はそれでもやがて一流企業として復興した。
でも高卒の父はどれだけ頑張っても課長どまり。若いのが次から次に昇進して行く。
左遷も栄転もあり、本社勤務にまでなったが、最後は家を建てた九州に戻りたいと部長に頼んで転勤させてもらえたが、年下の上司と馬が合わない。
結局また転勤を命じられ、それを機に早期退職。そして、山奥にセカンドハウス。

建って、まだ1年経たないうちにクモ膜下出血で倒れ、100日を越えた今も意識不明。
右脳の半分近くは駄目になってしまい、回復の見込みは判然としない。
どれだけ回復したとしても左半身は麻痺。

物心ついた頃から苦労を重ね、やっと自由気ままな第二の人生を過ごせるという矢先に、苦労は追い打ちを重ねるのか。

まだ60歳にもなっていない。これまで病気で倒れたこともなかった。



面会に行って、いよいよまた仕事が始まる前日の夜。
病院で横になり、自由の利かない体内に閉じ込められ、魂すらどこへ行ってしまったのか分からないほど脳が損傷しているのに、涙を浮かべながらぼくの話を聞いてくれる父の寝顔が瞼の裏に焼き付いている。

ぼくは今こんなことしている場合ではないのではないだろうか。
今ぼくがしなければならないことが何かあるのではないだろうか。
仕事も睡眠も明日も、どうしようもない程くだらない気分になる。
だけどきっと、だからこそ、よく分からないけれど、
淡々と仕事をして、眠って、自分の人生の目標のために頑張らなければならないと思う。そう思うのと同じほど、父を想うと苦しい。

親子喧嘩 

母と、夜中の11時過ぎに口論となった。

自動車の車検と整備について、などという大したことではない内容で口論となり、もうなんだかどうしようもないほどくたびれ果てた。
父が倒れてから初めての口喧嘩だった。

元来、べったりと仲の良い親子関係という訳でもなかったので、一緒に住んでいると酷い口論がちょこちょことあった。でも、もう口論なんてしたくない。
へとへとなのに、下らないことで喧嘩なんかして、いやになった。

山奥の家 

早期退職をし、その退職金で父が建てた山奥の家に行って来た。
夜は3度まで冷え込み、星が降ってきそうな程きれいだった。

来年の春には、ここで父を介護する予定だ。庭を車椅子で回れるようにしたい。
周囲の目を気にすることなく、庭に思う存分出られるように、常緑と広葉樹をまぜた木を植えたい。菜園の野菜がよく育つように工夫もしなければならない。

秋から冬にかけて、腐葉土を作れるようなケースを作りたい。

有機農業について、もっと学び、父が喜び、ぼくの胃袋も喜ぶような野菜を作って行こう。

とりあえず、タマネギの苗を植えた。背筋だか腰の筋肉だかが、ぱんぱんになってしまった。

108日目 

仕事の帰りがけに病院へ立ち寄った。

夜中の22時を回っていたので、一旦ナースステーションへ行って挨拶しようとしたけれど、誰もいなかった。巡回をしているのだろう。


消灯後の暗い病室に入って、電気をつけようとしたけれどなかなか見つからず、オロオロしているうちに、父はぼくの気配に気づいたようだった。
うめくような、むせているような感じで喉をならし、不安そうだったので「きたよ~! でも電気分からないんだよー」と言った。


明かりをつけて、父の右手に触れると、ちょっと熱かった。熱があるようで、首と肘には熱冷ましが巻いてある。
熱のせいか、眠っていたせいか、父の顔はちょっと紅潮し、少しむくんでいた。
右手を握りながら話しかけていると、右手をぶるぶると震わせながら、握りしめてくれた。
家族や、山奥の家のことなどをゆっくり話していると、やがて左目を明けて聞いてくれた。
夜は、身体に負担をかけるのでマッサージはあまり良くないかもしれないと思ったので、マッサージはしなかった。


急がしそうだったから気が引けたけれど、父の痰がひどくたまっていたから、看護士さんに声をかけて痰を取ってもらった。結構な量の痰を吸い出してくれた。
父は、口をむにゃむにゃさせ、すっきりしたような、しないような、微妙な表情をした。それがちょっとおかしくて、看護士さんと顔を見合わせて笑った。


帰る前、顔をウエットティッシュで拭くと、表情をゆるめ、目もと口もとをゆるやかにゆるめた、ちょっと微笑んでいるような、すごく気持ち良さそうな表情をした。
「あ~よく眠れそうだ。だからもうお前は帰れ」
と言ってくれているような気がした。

112日目 

退職後、楽しそうにしていた父のセカンドハウスに一人で行って来た。

来年の春以降、父をそこで介護するつもりだ。
小さなマッチ箱のような家の周りには、小さな畑があり、植えられて間もない小さな樹木がある。


父が安心してぼんやりできるように、まず、車椅子で動けるよう、レンガで道を作った。

土を盛って、200個近いレンガを埋め込んでも、15m位の道しかできなかった。
どんな車椅子を利用するかどうかわからない。ひょっとしたら母が後ろから押すのかもしれないし、電動の車椅子かもしれない。
道を外れてでんぐり返しにならないよう、また、母が後ろから押す時にできるだけ楽に押せるように、多少でこぼこだけし、若干坂もあるけれど、排水や、景観や、畑を考えて、平坦に近い道を作った。

まだまだレンガの道を延ばさなければならない。
来月には、枯れ葉を拾って来て、腐葉土を作ろう。
雪解けが近づいたら、母と、伯父さんと一緒に木を選んで植えよう。


父がいつ意識を取り戻してもいいように、父の家を守りながら、ぼくはぼくの生活も立て直さなければならない。
妙に、忙しくなって来た。

風邪を引いてしまいました。 

1週間程前から風邪を引いてしまい、父のお見舞いに行けないし、仕事も休んでなんだかふらふらです。

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