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1日目 

深夜1時過ぎ、ぼくは「猟奇的な彼女」を泣きながら観ていた。深夜には珍しく、自宅の電話が鳴った。夜中に失礼だなぁと思いながら受話器を上げると、妹が泣きながら、
「お父さんが倒れたからお兄ちゃん来て!」
と、震えるような、叫ぶような、我慢しているような声でぼくを呼んだ。

「一日持たないかもしれない」
「腫れが引かないと手術ができない」
「投薬で様子を見守るしかない」

救急車で病院に運ばれ、最初の検査の直後、医師から説明された父の状態は絶望的だった。ICUで寝ていた父は、点滴やら酸素チューブやらが付いていたけれど、よく日に焼けていて、「いや~眠っとった!」といいながら普通に目を覚ましそうだった。

父の兄弟、母の兄弟、従兄弟達が病院に辿り着く頃に夜が開けた。
慌てて飛び出してきた自宅が不安だと母がいうので、ぼくは一人で父と母が住んでいた、山奥のセカンドハウスへ車を飛ばした。

あと20分ほどで着く頃、最も親しい友人に電話をかけた。
何も知らない友人は、早朝の電話に驚きながら、ちょっと笑った。ぼくは、彼の笑い声を聞いてほっとして、言うか言うまいか迷っていたことを告げた。
「親父がさ、クモ膜下出血で倒れちゃって、どーしたらいいかわかんないんだよ」
また電話するといって、切った。
友人に、声を出して告げることで、これまで実感のなかったことが、始めて実感できて、車の中で泣いた。

山奥のセカンドハウスは、父が自給自足的暮らしをするために、野菜だらけで、そして母が植えた花が咲き誇っていて、犬のごんたが尻尾を振って待っていた。
庭と呼ぶには広過ぎる、畑に、水をまき、いつ父が帰ってきても豊かな庭であるようにして、戸締まりを確認して、病院に戻った。

11時半頃病院に戻ると、父は再検査をしていた。そして、看護士である妹が少し喜んでいた。
再検査ができたということは、父の容態が持ち直し、ひょっとすると手術ができるかもしれないというのだ。

12時過ぎに、医師から2度目の説明があり、脳の腫れが若干落ち着いているようなので、開頭手術ができるとのことだった。
夕方6時から、夜中の12時までの6時間の手術は成功した。


・手術は成功したが、今後2週間以内は脳血管攣縮から、脳梗塞といった合併症の危険性があるため、容態が急変する可能性がある。2週間がヤマ。
・5つのクリップで動脈瘤を押さえることができた。
・動脈瘤が破裂して、傷ついた脳が今後腫れるので、右側の頭蓋骨は外した。
・脳の水(髄液)が多いので、頭にチューブを入れて、水抜きをしている。
・術中に、自発呼吸を取り戻したが、全身麻酔が効いているので、まだ呼吸器はつけているが、やがて外すことができる。
・回復しても、障害や後遺症が残る。
・意識レベルの回復は、早い方がいいが、半年が目処。半年経っても意識が戻らない場合は見込みが薄い。

医師からの説明を聞き、今夜は全身麻酔も効いているので帰って休んだ方がいいと勧められ、母、妹、ぼくの3人は、父のいない、父が昨年建てた、犬のごんたが待つ、山奥のセカンドハウスへ帰宅した。



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2日目 

午前中に麻酔が切れ、鎮痛剤も取った。午後には呼吸器が取れた。


爪を立てて、父の爪をグッと握って痛くしたり、
胸の辺りをつねると、反射がある。
父は、あくびをしたり、瞼の下で眼球が動いていたり。

母と妹は、浴衣や、おむつ、歯ブラシ、ティッシュ、下着、バスタオル、タオル、タオルケットなど、父に必要な物を買い揃えた。


麻酔が切れており、いつ容態が変化するか分からないので、ぼくは病院に泊まり、母と妹は帰宅させた。

3日目 

汗をかいていた。熱があり、脳圧が上がる。夕方には熱、脳圧ともに落ち着いたが、夜にはまた発熱。

ぼくたちの呼びかけに対する反応ではなさそうだが、少しだけ足を動かしたり、腕を動かしたりする。反射のような気がする。

今夜は家族皆帰っても、容態の変化はないだろうと医師に言われたので、母、妹だけでなく、ぼくも帰宅。

4日目 

クモ膜下出血によって、脳の中は血まみれだった。手術でできる限り洗ったが、全て洗いきれるわけではないため、残った血を出すことと、溜まっている脳の水(髄液)を排出するためにチューブを頭に入れていた。
ただ、長期間チューブを入れていると、感染症に罹ったりするため、この日頭のチューブを抜いた。
その代わりに、背骨辺りにチューブを新たにいれ、溜まっている脳の水(髄液)を、脊椎から抜くこととなった。


父は、顔がちょっとむくみ、熱があってだるそうだけど、よく眠っていた。働いている頃から眠りが浅く、睡眠時間も短かった父が、こんなに長く、深く眠っているのを見るのは、母も初めて。
長年共に暮らした父が、倒れている姿を、母がどんな気持ちで見ているのか想像すると、寂しくなる。



戦後の九州の田舎で生まれ、九州の地方都市で知り合って、できちゃった結婚して、ぼくを産んで、会社の辞令で4年おきに全国あちこちへ転勤して、友達から離れた知らない町で心細くてもいつも側にいた父が倒れている。

新聞配達をして高校を出て、就職して、結婚して、ぼくたちに貧しい思いをさせないようにとただひたすら毎日働いて、九州の地方都市に家を建てて、早期退職したら今度は九州の山奥にセカンドハウスを建てた父。

ぼくはまだ胸を張って父を喜ばせられるような職に就いてもいないし、孫の顔も見せていない。まさか父が、57歳と言う若さでクモ膜下出血で倒れるなんて思わなかった。



母と妹を先に帰宅させて、医師に1対1で、聞きたかったことを細かく聞いた。

・意識障害について
クモ膜下出血したのは、右脳。右利きだった父にとって、言語は左脳を使っていたと考えられる。回復すれば、言葉は話せる。
右脳が損傷しているので、感情面で障害が残る可能性がある。
例えば、皆が怒ったりしている感情が分からないとか。

意識が回復する順序としては、
「右手の握り返し(自動運動)」→「視力」→「発声」


・身体障害について
また、左半身に麻痺が残る可能性もある。だが、左脳が無事であれば、右半身は動かせるようになる可能性が高い。


・脳について
脳の90%は水分である。だから、水分を体内に入れると脳が膨らむ。現在、父の脳は右脳が腫れており、脳幹といわれる脳の中心が1cmほどずれている。これが2cm以上ずれて脳幹が損傷してしまうと植物人間になってしまう。そうならないためには、脱水状態ぎりぎりの所まで水分を制限することで、脳の腫れを抑える。
しかし、出血による影響で、脳の血管が収縮しはじめる、「脳血管攣縮」というのが起こる。
水分を押さえて、血流を押さえている所に脳血管攣縮が起こると、脳梗塞などの合併症を引き起こす。それが酷いと再手術も必要となるし、脳が駄目になってしまう可能性もある。
また、脳の水(髄液)の吸収がされていないため、頭や脊椎にチューブを入れて髄液を抜いている。この影響で、髄膜炎という合併症を起こすこともある。

脳の腫れ、脳血管攣縮、合併症を考えると、来週の火、水、木辺りがヤマとなるだろう。術後2週間持ちこたえることができたら、取りあえず命は取り留めたと考えてもいい。

手術で右側の頭蓋骨を取り除いているが、取り除いた骨は冷凍保存しており、1ヶ月はもつので、なんとか1ヶ月後には骨を戻せるといい。

現在チューブで抜いている髄液だが、しばらくしても吸収できないようなら、水頭症の手術(シャント)が必要となる。



医師は、父のCTや、脳の模型を持ってきて、分かりやすく説明してくれた。
父の容態が安定しているようなので、帰宅した。

5日目 

在職中、仲の良かった父の友人が来てくれた。

輸血をした。
昼の面会で見た父は、目の力が弱い気がした。まだ熱がある。
爪を立ててつねると「痛い!」と動く反射が、ちょっと鈍かった。
父は5人兄弟の4番目なのだが、長男と次男の兄が今日も来てくれた。次男の伯父さんも体調が優れないようだった。

夕方の面会に行くと、顔がむくみ、相変わらずちょっと反射が鈍かった。
母方の伯父さんが来てくれた。

22時頃、医師に「瞳孔が開きかけている」と言われた。
ぼくは一旦帰宅し、シャワーを浴びて、自分の車で病院へ戻り、病院に泊まった。
母と妹も病院に残ると言うので、結局家族3人とも、病院に泊まった。

日曜日の夜なので、担当の医師が病院にいないというのが不安。

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