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母方の祖父 

今年88歳になる母方の祖父は、数年前から入退院を繰り返している。
3年ほど前までは、酸素を吸いながら大好きな煙草を吸っていたけれど、遂にそれもやめた。でも毎日2合くらいお酒が飲めるので嬉しそうだ。

ぼくは小学生の頃、毎年夏休みになると40日間ずっと、おじいちゃんの所で過ごした。いとことカブトムシを捕ったり、釣りをしたり、川で泳いだり、じいちゃんと将棋を指したり。ぼくはじいちゃんが大好きだ。

そのじいちゃんが救急で総合病院に運ばれて、ICUに入った。
毎年春になると喘息が出て、入院したりするらしい。でも去年は大丈夫だった。
今年はちょっと調子を崩して近所の病院に入院したら、夜寒くて、肺炎だか喘息だかが悪化して、町の総合病院へ運ばれた。偶然にも、妹が働く病院だった。

レントゲンで見ると、右の肺がほとんど真っ白だったらしい。
心配だ。今度お見舞いに行かなければ。

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病院をはしごした 

父の面会の後、高速道路を使って30分ぐらい走って、おじいちゃんのお見舞いに行った。

着いたら眠っていた。母とぼくが眠っているおじいちゃんをじーっと見ていたら、
「お食事の時間ですよー」
と看護師さんが声をかけた。
おじいちゃんは目を覚ますなり驚いて、ぼくと母の顔をおろおろしながら見た。 
「久しぶりじゃの~! 相変わらずくしゃみするか?」
とじいちゃんはぼくを見て言った。

どうやらだいぶ回復しているようだった。
回復して、気持ちが落ち着いて、思考が戻ると、じいちゃんは病院にいることがもの凄く嫌で、寂しそうだった。

母にしてみれば、夫が倒れ、父まで倒れてしまったという状況だけど、共に容態が安定し、回復し始めたのでほっと胸を撫で下ろしているようだった。

祖父の病状 

この日は母と妹が病院をはしごして、父の病状の報告と、祖父の病状の報告を受けた。

祖父は救急で入院して以来、寂しがってはいたものの元気そうだった。そして、祖父が入院しているのは妹が勤務している病院だったし、しかも妹が働く病棟だった。妹はほぼ毎日祖父の病状をしっかりと把握していた。

祖父は入院以来、ほとんど睡眠が取れていなかった。日に日にやつれ、体力を失っていた。妹はその様子を見ながら毎日泣きながら働いていた。

今日、たまたまちょっと口うるさい看護師さんと、麻酔科の先生が祖父を看て、その時に主治医は「不要」と判断していた装置を麻酔科の医師が「これつけたほうがいいだろう」と判断し、ある装置をつけてくれた。

すると、これまで喘息が苦しくて眠れなかった祖父がすやすやと気持ち良さそうに熟睡し始めた。

ぼくはよくわからないのだが、酸素を送る装置ではなく、肺に圧を加えることで、縮んでいる肺胞を刺激して広げ、呼吸を楽にする装置らしい。

主治医は後からその装置が設置されたことを知ったらしいけれど、敢えてそれを除去せず、効果が見られているのでこのまま継続すると伝えてくれた。

妹は以前から「循環器の先生と、心臓の先生にそれぞれ見てもらった方がいい!」と、伯父さんに言っていたが、仕事に忙しい伯父は「そうしてくれ」と言うが、その手続きをなかなかしてくれていなかった。

患者である祖父の最も身近な伯父が頼まないと、そういった処置はなかなか勝手にできないらしい。それが、たまたま麻酔科の医師に看てもらえたことで祖父の病状が快方に向かっている。

主治医はどうして周囲の医師に相談しないのか。
伯父はどうしてすぐ病院にお願いにいかないのか。

伯父は決して薄情なタイプではなく、親戚の中でも情が深く、父の面会にも毎週来てくれている。ただ、問題を把握して、解決するための判断力や、行動力が今回足りていなかったと思った。

妹は、ここ1週間、まとまった睡眠が全然取れていなかったらしく、21時頃帰宅すると喋りながら熟睡してしまった。負担をかけてしまって、本当にすまなく思う。

祖父の病状 

祖父があんまり良くないらしい。
喘息で息が出来ないので、喉から呼吸が出来るようにするらしい。

電話口で母は、明るい声でそんな話をした。

祖父 

18:19に祖父が他界した。ぼくは看取ることができなかった。
祖父は、これまで共に暮らしていた内孫が全員集まるまで、なんとか意識を保ち、自分の子供と、内孫が全員揃うと、静かに永い眠りについた。

ぼくはあんまりおじいちゃんのことを詳しく知らなかったけれど、ぼくが小学生だった頃、夏休みになるといつもおじいちゃんの家へ行き、カブトムシやクワガタ採集に夢中になった。ウナギの仕掛けも一緒に行った。雨が降ればおじいちゃんと将棋をした。
ぼくは父から将棋を習い、将棋の楽しみはおじいちゃんから教えてもらった。
おじいちゃんは、たまにポカをして負けては「もう一番!」と人差し指を立てて言った。頑張ればたまに勝てる。そんな気がして、気を良くしてぼくはよくおじいちゃんと将棋をした。

たまにおじいちゃんの横で寝ると、じいちゃんは朝早く起きて布団の上であぐらを組み、天狗のような鼻から煙草の煙を豪快に吐き出しながら、山を見て微笑んでいた。

自分では気づかないほど、ぼくはじいさまに影響されていて、母は、ぼくとじいちゃんの性格はよく似ていると言っていた。
今年89歳になるはずだったじいちゃんは、桜が満開になる前に、二度と目を覚まさない眠りに着いた。

天寿を全うしたのだと、思いたい。

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