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秋空 

昨夜は凄く眠かったけれど、なんとなく、ちょっと無理してでも実家へ帰りたいなぁと強く思ったので、歯を食いしばって眠気と格闘しながら深夜実家へ戻ってきた。仕事をしなくちゃ行けないけれど、タマネギの苗が届いたとおふくろが喜んでいたので、午前中からおふくろと一緒にタマネギを植えた。秋空の下、親父はそれを眺めながら、猫を遊んでいた。

そして、久しぶりに親父と風呂に入る。

ここ最近は忙しく、10月からは火曜日の夜実家へ戻り、水曜日朝に出勤して、夕方実家に帰宅して、水曜日の夜中に福岡へ帰るという状況だった。だからなかなか親父を風呂に入れてやれてなかったので、面倒くさいけど、でも凄く楽しみでもある。

親父のリハビリは半年ほど前にちょっと変更された。入浴介護が週2回になり、通う施設がひとつ増えた。その増えた施設でのリハビリがとても親父には良いらしく、麻痺している左腕や左足の腫れがなくなった。凄く嬉しい。

忙しさと、最近の充実したリハビリに甘えて、親父を風呂に入れてやっていないので、今日は久しぶりに一緒に風呂に入るのだ。

疲れたからといって一人自宅で寝ていても、心に付着した汚れのような気持ちは取れない。でも、肉体的にはしんどくても、実家へ戻って畑仕事をしてみたり、親父と風呂に入ったりすれば、心は少し軽やかになる。

今日よ、ありがとう。

妹 

1週間ぶりに実家へ帰ると、おふくろがなんかおかしかった。肩がもっこりしている。首が肩の上から伸びているのではなく、肩の中腹から斜めに首が伸び出ている。なんか妙な感じだった。腰を見るとどことなくやはり違和感を感じる。生気がまたすこし抜けてしまったかのように見えた。

「疲れてる?」って聞いた。するとおふくろは「ん〜もう、疲れてるってなもんじゃないわよ。あんたに言うとまた怒るかもしれないけど、昨日は姪が遊びにきてて、一昨日は姪とその母(つまり僕の妹)が来ていたから」と冗談めかして「昨日より妹の来ていた一昨日のほうが実は疲れたんだけどねー」なんて言っていた。

もうがまんがならない。妹には半年ほど前にも叱ったのだ。姪はかわいいし、おふくろも喜んでいるから家に遊びにくるのは構わない。家が賑やかなのは楽しいことだ。しかし、家に疲れを取りにくるな。おふくろの助けを利用しにくるな。おふくろを喜ばせるために姪をたまに預けるとか、おふくろの様子を見がてら差し入れをするとか、料理を作ったりするとか、楽しみのためだとか、喜ばせたいといった気持ちで、介護に疲れているおふくろに会いにきてくれる分には助かる。有り難い。だが「〇月〇日は夫婦ともに仕事だから姪を預かって欲しい」とか「今日は夜勤明けで凄く疲れているから自分(妹)が寝ている間、姪と犬の面倒を見ていて欲しい」といった利用の仕方はやめて欲しいと言ったはずだった。

だが、きっと僕の話なんて聞いちゃいなかったのだろう。僕と口論になって逃げるようにして自宅へ帰って以来一度も僕の前に姿を見せていないのに、あれからまだ半年かそこらしか経っていないはずなのに、また家に来ておふくろを疲れ果てさせている。

妹にも言い分はあるのだろう。だが、今おふくろが倒れたら、家は、俺は、もうどうにもならなくなってしまうんだ。僕は今、仕事と介護とを両立するために四苦八苦した生活をこの6年送っている。充実はしているが、僕自身の人生は空白だ。それもあと数年頑張ればなんとか両立しそうな目処が経ってきた。なのに、妹は、僕の目を盗むように母を利用し、疲れ果てさせている。今母に何かったらもう僕は精神的にも肉体的にも経済的にももうどうしようもなくなる。

母には長生きして欲しい。父の介護ばかりではなく、母にも母の時間を大切にして欲しい。父と母との限りある時間を楽しく過ごして欲しい。ぼくもできるだけ両親と一緒に時間を過ごしたい。もう少し僕の仕事が落ち着いたら、僕自身の人生も少しずつ充実させて、それを両親に見せて安心させてやりたい。でも今はまだ、どん底から抜け出したところだから、これから少しずつ、少しずつ、いろいろしたい。

なぜ妹は看護婦の癖に両親の健康状態などの観察を真剣にしないのか。「何かあったら私が面倒を見るって昔から言っている」というけれど、妹よ、お前はもう嫁いだのだ。俺の甲斐性がないとはいっても、何かあったら俺が何とかするしかないのだ。

妹よ、頼むから、もうちょっと俺のことも考えてくれ。

そのような思ったことをおふくろと口喧嘩しながら伝えていた時、偶然にも妹からおふくろへの電話があったので、かわってもらって同じように妹に言ったら「じゃあ私にどうしろっていうの?」って逆ギレされた。僕は妹に「おふくろの世話をするような気持ちで家に遊びにきて欲しい」とでも言わなければならなかったのだろうか。妹は自らの行為の傲慢さに気づき、思い遣りのある配慮だとか、謙虚さを持って両親と時を過ごしたいなどといった考えには至れないのだろうか。「気づき」のない妹に対して「じゃあ、お前が両親の面倒を見ているとき、俺はどこにいるんだ?」と聞いたら言葉を失っていた。彼女は一体何に「気づき」を得たのだろう。僕はそれを震えながらおふくろに伝えた。

父は元気です。 

今年の春に担当のケアマネージャーが代わって以来、父の行く介護施設がもう一カ所増えた。母がそういったことをすべてやっているので、介護保険料がどうなっているのかよくわからないけれど、行くところが1つ増えて、父はうれしそう。

それに、毎週末僕は父と風呂に入っているのだが、このところ父の体がちょっと柔らかくなったし、麻痺している左足や左手の腫れもちょっと収まった。

何年か前に介護保険ががらりと変わり、リハビリが激減してからというもの、父の麻痺している左半身は悪くなりそうで悪くならない微妙な感じがしていた。それをぼくは密かに恐れていたのだけれど、最近はむしろ、ちょっとまた良くなっているような気がする。そして、介護している母の体調のほうがまたちょっと心配だなと感じている。

昨年の終わり頃、妹が母を頼って、姪を預けるのみならず、新しく買い始めた犬を一時期預けており、その時期母がみるみる痩せて、春先には首や腰まで痩せてしまった。毎日のように会っていた妹は気づかなかったのかもしれないが、週に1度くらいしか会わない僕の目に映るその時期の母は目に見えて、痩せては行けない部分が痩せて行っていたので心配でならなかった。このままだと本当に怖いと思い、我慢できなくなって僕は妹を久しぶりに真剣に叱ったのだが、妹は泣きながら逃げるように帰った。それ以来会っていないが、数週間は姪も預けず、連絡もほとんどなかったようだが、1ヶ月か2ヶ月経つと、またちょっとずつ姪を預け始め、最近は週に1度くらいは母が預かっているようだ。姪はかわいいし、最近はあまり手がかからないから週に1度くらいなら母にとっては負担ではなく、喜びになっていると思う。だが、また最近電話が増えているようで、母への依存が増しているような気がしてならない。老いた両親のためにかわいい姪を預けるのなら有り難いが、自分の生活を楽にするために老いた両親に頼るのだけは勘弁してほしい。僕がそう願っていることを、妹はどこまで理解しているのだろうか。あるいは、理解した上で依存しているのだろうか。よくわからないが、とにかく僕は痩せこけていく母を見たくない。

近況 

相変わらず親父は元気に三度の飯を食い、週に1回は家のお風呂に入っている。

週に2回は病院でリハビリを受け、週に1回は通所のデイケアサービスでお風呂に入れてもらったり、折り紙作ったりカラオケ歌ったり神社へ行ったりしている。

昨日は一週間ぶりに大便をし、ホッとしていたのだが今日はなんと午前と午後にそれぞれ一回ずつ大便をちょびちょびするという、介護している母にとっては悲惨な連休となっている。本日二度目の大便はちょっと間に合わず、大変だったので、今日もお風呂に入れることとなった。昨日も入って今日も入るというのは、父にとっては嬉しいことだろう。

入浴中、父は見えない方の左側へずぶずぶ沈み込んでいくような気がして怖いらしく「こわいよー、こわいよー」と言ってきかないので、入浴中の十数分の間、僕はずっと九九の問題を父に出し、父はそれを答えるというのが習慣になっている。

父は数学が大好きだったので、どんなに喋りたくないときでも、僕が「ににんが」と問えば「し!」と答えるのだ。その習性を利用して、入浴中僕はずーっと父に九九を出題しながら、マヒしている左足と左腕をマッサージしている。

ところが2週間前、父が初めて九九を間違えた。6×9がどうしても53になるのだ。ど〜も7×9=63に引きずられて6×9=53になっちゃっているようなのだが、遂には9×6までもが53になってしまって「やべぇ、親父がボケた!」とあせってしまい、えらくしつこく九九をやってしまった。

どうしても6×9=54にならないので諦めながら母を呼んで身体を洗ってもらっていたら、父がのぼせた。風呂場でぐったりしてしまい、いよいよその時がきたかぁ、、などと思いながら風呂場から出すと父は意識を取り戻し「うんちがしたい…」と言った。看護師の妹が言うには、便がたまってたってのと重なってクラクラしたんじゃない?ってことだった。なるほど、そういうこともあるのかもしれない。

そんなこともあったけれど、昨日風呂に入った父は今日2回も大便をし、遂には内股を汚してしまいばっちいし拭いたりするのも面倒いのでこれから風呂にいれてやることとなった。

暖かくなってきて春が近づいて母は喜んでいたのだが、今日は寒気が押し寄せて母の大嫌いな雪がぼたぼたと降り積もり、父は2度もクソをたれるという酷い一日となってしまった。まぁしかたがない。

そんなこんなでわが家の自宅介護ももう5年半。

5年。 

親父が2005年7月27日に倒れてから、既に5年が経った。

せめてあと5年、否、3年でいいから生きて俺を見てくれと願った。

5年経っても胸を張れるようなことは全然できなかった。そのことは凄く不甲斐なく、悔しいのだが、一方で親父は家族の中で最も肌艶よく、健康的な感じでぴんぴんしている。

介護をしている母のほうが、最近は心配でしかたがない。そんな母の心理的負担を少しでもやわらげたいのに、それができないままでいる自分自身が憎い。

あれやこれや頑張って、両親を安心させたり、楽させたりしたいのに、全然できない。せめて自分に出来ることとして、週末の入浴介護だけは、できるだけするようにしている。年月は冷酷なほど淡々と過ぎていく。

きっともっとストイックに自分に厳しく頑張っていれば、時間を冷酷だなどと思うこともなかったのかもしれない。